体操史 序の序

2009.4.4.

明治以前、幕末の長崎でオランダ人について西洋兵学の勉強をした高島秋帆は、「高島流砲術」という西洋流砲術の指導を始めていた。1840年アヘン戦争が勃発し、欧米列強の脅威がいよいよ間近に迫ってきた。

「そこで彼は、ヨーロッパ列強の侵略に対処するためには、洋式兵制を採用すべきであるという建白書を当時の長崎奉行所に提出した。その事から彼は幕府に召還され、1841年武州徳丸原(東京都板橋区北西にある地域。新河岸川が北端を流れる低湿地域)で、高島流西洋銃陣を公開して、人々に新しい時代の到来の、大きな感銘を与えたのである」
(濱田靖一著「体操の発芽」[『体操ひろば』第22号所収]より)

以後、各藩で「洋式操練」または「調練」と呼ばれる訓練が実施されるようになった。大砲を効率よく操作するための集団行動や武器を扱うための柔軟な身体が必要との認識が広まったのだろう。

そして明治、日本の体操の歴史が始まる。
明治5年(1872年)、学制が敷かれ、小学校に「体術」が教科として設けられた。
翌年、明治6年に「体操」という教科名に変更され、この教科名は、昭和16年(1941年)に「国民学校令」が公布されるまでの、ほぼ70年間にわたって使用された。
日本の「体操」教育は学校においてきわめて意図的かつ計画的に実施された。「意図」というのは、欧米列強と肩を並べるための「富国強兵策」や「殖産工業政策」である。

明治11年(1878年)には体操伝習所が設立された。アメリカからG・A・リーランドが教師として招かれ、日本初の知育研究所と教員養成機関が発足した。(1886年、東京師範学校(後の東京高等師範学校)に体操専修科が設置されるのを機に閉鎖された)

「ここでの学科目は、体操術(男子体操術、女子体操術、幼児体操術)、美容術(カリセニックス)及び調声体操術法、解剖学、生理学、健全学、物理学、化学、英学、和漢学、図学があり、既に「活力検査」として、後の身体検査や体力測定の前身に相当するものも設置されていたのである」
(濱田靖一著「体操の発芽」[『体操ひろば』第22号所収]より)

幕末〜明治にかけて、欧米諸国ではF・L・ヤーンのドイツ体操とP・H・リングのスウェーデン体操が2大主流であった。
日本にはまずドイツ体操が導入され、その後、スウェーデン体操が主流となる。
スウェーデン体操を日本に導入するに当たって功績があった井口阿くり(いのくちあくり)は「日本女子体育の母」と呼ばれた。上衣をセーラー式、下衣を膝下までのブルマーとした女子学生向けの体操服を考案したのは、井口阿くりである。(ただし、当時の保守的な女性観のために普及はしなかったという)
さらに昭和6年には、ニールス・ブックが来日、デンマーク体操が注目された。
デンマーク体操に触発された海軍兵学校教官の堀内豊秋によって「保健体操」が作られ、海軍に導入されるということもあった。
(ちなみに陸軍はスウェーデン体操を取り入れていた)

ドイツ体操は鉄棒・鞍馬(あんば)・平行棒などの器械を使用するやや難易度の高い運動だったようである。ドイツ体操においては、徒手体操は年少者や初心者が器械体操を行えるようにするための準備段階で、徒手体操自体は主たる運動ではなかった。

これに対し、スウェーデン体操は、姿勢の矯正や身体の調和的発達を図ることを主目的としていた。
スウェーデン体操の研究家ロートシュタインは、ドイツ体操を青少年の体育手段として有害であるなどと批判し、激しい論争が行われた(平行棒論争、1860年)。この論争自体はドイツ体操の勝利に終わったが、「この論争の結果、ドイツ体操も科学的な裏付けの必要を痛感し、両者ともプラスになった面が多かった」と濱田靖一は述べている(『図説 徒手体操』P.17)。

デンマーク体操は、フランツ・ナハテガルによってドイツ体操を元に作られたが、ニールス・ブックによってスウェーデン体操の考え方とリズミカルな運動形式が取り入れられた。
(デンマーク体操は現在でも関西圏を中心に普及している)

昭和16年(1941年)になると「国民学校令」が公布され、教科名が「体練」となった。
今、世界の戦場で子供に武器を持たせて戦わせている大人たちがいるが、学校の正課で戦闘方法を教えるという時代が日本にもあったのである。

昭和20年、太平洋戦争の敗戦とともに、武術・武道だけではなく、学校や社会で広く実施されていたラジオ体操・集団体操なども禁止された。
日本人なら誰でも知っている「ラジオ体操(第1)」は、昭和26年に新しく作られた体操である。



図説 徒手体操 『図説 徒手体操』
著 者: 浜田 靖一
発 売: 新思潮社(最新 図説 保健・体育シリーズ)
定 価: 2,500円(1968年当時)

「日本の体育が体操をバックボーンとして盛んに行なっていた時には、アメリカは体育の中心がずっとスポーツであり、終戦後日本がアメリカ文化の影響によりガラリと体育のバックボーンをスポーツにかえて、これでアメリカと同じだと思った時にはすでにアメリカのスポーツや生活の裏づけとして徒手体操(Conditioning Exercise)がむすびつき、ますます盛んになりつつあるというわけである。アメリカと日本は徒手体操の波の周期が違うのである。」
(「総説 徒手体操の生態」より)

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参考URL:
「濱田靖一のページ」 (左側メニューの「体操ひろば」をクリック)
「体操の糸」を紐解く―我が国の体操事情― (たいへん参考になりました)
「井口阿くり」 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
NPO法人 日本デンマーク体操研究会 (デンマーク体操の動画が見られます)
デンマーク体操の団体「アンセル」 (デンマーク体操の歴史が詳しく書かれています)

蛇足:
日本中の学校の体育館に「肋木(ろくぼく)」があります。「肋木」はスウェーデン体操のものだったらしいです。
スウェーデン体操の影響がいかに大きかったことか。かつては。