『思想する「からだ」』

2008.12.29.

著者の竹内敏晴氏は演出家で、いくつかの劇団を経て、自身で竹内演劇研究所を開設主宰。著者が開発した「からだとことばのレッスン」は、人と自分との関係の捉え方、さらには自分自身を変えていく営みとして注目された。また、著者は障害者療育とも深い関わりを持っている。

本書は、著者が20世紀の最後の10年ほどの間に発表した文章を、編集者が構成し直して1冊の本にしたものである。テーマは多岐にわたるが、「からだ」に関連する文章が多い。

その中から今回は「「武術」の伝承」と題された文章を紹介したい。副題に「からだを見出すこと、からだを捨てること」とある。

「それを理解するとは、そのことばの発せられるからだにおける感じとり方を、自らハッとからだの中に発見するということでしか可能ではない。それができるようなからだ、またその感受性を、どうやって用意しておくかということが、伝承ということの根本的な条件になるのである」(「「武術」の伝承」より、以下の引用も同じ)

最初の「それ」とは、ある種の身体感覚を表現した言葉を指している。
オペラ歌手の伝記を分析していた研究者が、その歌手が「声を歯の裏に置く」と言ったことについて、「これは1つのメタファーだけれども」と言う。著者はそれに対し、「学究的ないしは文字による記述の目から見たらば、メタファーということになるかも知れないが、それを発した主体にとってみると、事実そのものなのだ」と言う。

歌、踊り、スポーツ、武術、建築、製造業、芸術など、特定の身体能力を獲得した人たちが自身の「技術」について語る言葉、「それ」は彼らの実感なのだ。
そうした技術を受け継ごうとする者が「それ」をメタファーだと思っているうちは伝承はおぼつかない。「それ」を自身の内についに実感した者が伝承者なのである。

例えば、日本舞踊では1つの手、1つの足の動きまで師匠の言う通りに形を整えていくことで稽古を進める。しかし、型を受け継ぐということは、単に身振りをまねするということでなはい。

「型を取るということは、その型をなしているイメージを受け取る、あるいは自分の中で発見する、そのイメージをかもしだすからだを、自らのうちに発見することだということである」

続いて、著者は自身が習得した弓術について語る。
著者は13歳から弓術を習い始め、わずか16歳で当時の全国最年少三段になった。
弓術の流派による型の違いをどのように考えるか、あるいは、的との距離感について、興味深いエピソードが語られている。弓や武術に興味がある方は本書を直に読んでいただきたい。
ここでは、著者が20歳前後に体験したという「二十射皆中」を紹介したい。

弓道では1度に矢を4本持って順に射る、それを5回繰り返す。つまり、スポーツ的に言うと、二十射が1ゲームである。
「二十射皆中」とは即ちパーフェクトということだが、言うまでもなく極めて難しい。

「私は中学五年生だかの時、戦時下で確か厳戒警報(中略)で、道場に電燈がつかなくなった時に、やった。日が暮れてきて、十五、六射目からはまっ暗になった」

著者はまっ暗な道場で射続けた。的に当たった矢は、友人がとってきて手渡してくれる。一歩でも動くと「世界が崩れてしまう」のだと著者は書いている。

「足さえピタと決まれば、からだのバランスは精密におのれを知って、意識を超えた正確さで自ら働くものなのだ、ということについては私は信じるものを持っている」

どの民族にも「弓の名人はいたであろう」と著者は言う。また、民族によってその練習方法は異なるだろうし、「その達成の表現」は独特なものになるはずである。
「那須与一は八幡大菩薩に祈ったが、悪魔が矢を導いてくれると信じた民族もあったであろう。」
しかし、どのような文化のもとで、どのような表現をされるにしても、「「からだ」は普遍的に明確に現象する」のである。
今風に言えば、「ゾーン(ZONE)」というのだろうが、昔風に言えば「明鏡止水」と言った表現になるだろう。著者は「からだを捨てる」と書いている。

「力を抜いたからだのまま、ただひたすら無心に、無限に心気が充実していった果てに、おのずから現れてくることであって、言わば、からだを捨てることとも言えるのである」

あなたには伝承したい技術があるだろうか。
あなたはその技術を伝承するための「からだ」と「感受性」を用意しているだろうか。



思想する「からだ」 『思想する「からだ」』
 著 者 : 竹内 敏晴
 発 売 : 晶文社
 定 価 : 1,800円+税

「私はかつて数年間、国立劇場で、歌舞伎と文楽の養成生徒の声の指導をしていた。そこで、結局一番問題であったのは、師匠の節回しのメロディーをまねすることは一応誰でもできるが、声そのものが違うという点であり、そのことについては、誰にもうまく指導できていないということであった。(中略)そしてさらに大きな問題としては、呼吸法が全く理解できていないために、声の出し方というよりは、響かせ方がまるでわからないのであった。呼吸法とは、単に、いわゆる発声訓練をしてできるようなことではなく、からだ全体の構え方、力の抜き方、そして瞬発力などのすべてが、有機的に生き生きと動き始めて、初めて可能になるものなのである」
(「「武術」の伝承」より)

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注1:
療育=障害児が医療的配慮のもとで育成されること。(大辞林)
竹内敏晴の略歴には「障害者療育」とある。「教育」ではないことにご注意を。

注2:
メタファー=隠喩。暗喩。比喩の一種。
「柳のように美しい眉」「静かなること林の如し」というのが直喩。
「雪の肌」「ばらの微笑」というのが隠喩。
このちがいを意識していますか?
シミリ(直喩)←(対)→メタファー(隠喩)。
メタファーは比喩という表現手法の一種で、比喩そのものではないんですね。今回初めて知りました。
比喩=物事を説明するとき、相手のよく知っている物事を借りてきて、それになぞらえて表現すること。その方法により、直喩・隠喩・換喩・提喩・諷喩などがある。
(以上、ネットの大辞林による)

補足1:
著者は『日本の弓術』(岩波文庫)オイゲン・ヘリゲルを引用しているので、先に読んでいると、著者の意図するところがよりわかりやすいと思います。

補足2:
竹内敏晴は野口三千三と交流がありました。
『ことばが劈(ひら)かれるとき』(ちくま文庫)の中に「野口体操との出会い」という章があります。
野口体操に興味がある方には面白い文章なので、いずれご紹介したいものです。

蛇足:
本書所収の「指輪物語ものがたり」は、トールキンの「指輪物語」のストーリーを明かしています。「指輪物語」未読の方はご注意ください。
(トールキンの小説は読んでいなくても、映画の「The Lord of the Rings」は多くの方がご覧になってるでしょうが)