『生物と無生物のあいだ』

2009.10.31.

本書『生物と無生物のあいだ』は2007年、第29回サントリー学芸賞を受賞している。

お話しはある古い建物から始まる。
マンハッタン島を一周する遊覧船サークルライン、観光客のお目当てと言えば、自由の女神やエンパイアステートビルだが、そうした見所を過ぎ、サイモン&ガーファンクルの唄に歌われたクイーンズボロブリッジを通り過ぎた直後、赤レンガの古びた一群の建物が見えてくる。その古びた建物とはロックフェラー大学、住所はヨークアベニュー66丁目。
この大学の前身がロックフェラー医学研究所で、二十世紀初めにロックフェラー財団によって設立された。この研究所は、ヨーロッパを始めとする各国から優秀な人材をアメリカに引き寄せるのに貢献し、ノーベル賞受賞者を輩出する。

著者が80年代の終わり頃に研究生活を送ったこの建物で、かつては野口英世も研究者として活躍していた。だが、、、

「パスツールやコッホの業績は時の試練に耐えたが、野口の仕事はそうはならなかった。数々の病原体の正体を突き止めたという野口の主張のほとんどは、今では間違ったものとしてまったく顧みられていない」

野口英世が発見したと主張した狂犬病や黄熱病の病原体はウイルスであることが今ではわかっている。ウイルスは当時の顕微鏡では見ることができなかった。その姿を見ることができる電子顕微鏡が発明されたのは、野口英世が亡くなった後のことだった。

ここで話しは転じて「病原体特定のステップ」となる。
あなたが顕微鏡で見ている細菌がある病気の病原体であることを証明するとしたら、あなたはどのような手続きを経なければならないか。実験用のサンプルをいくつもいくつも集めたり、何度も器具を消毒したり、ため息がこらえきれないほど面倒な手順の説明が続く。
それでもようやく、あなたの「病原体特定のステップ」は次の段階に進む。あなたは、あなたが採取した、あるいは培養した細菌をピペットで吸い取り、実験用の動物に接種する。これで、動物に病気の症状が現れれば実験は成功、あなたのお手柄となるはずだが、、、。

「細いピペットで吸い取った液体の中には確かに微生物が存在する。その液を他の動物に注射すると同じ病気を発症する。顕微鏡で見ると明るく透明な液体の中に細かく律動する微生物が見える。他には何も見えない。しかし、見えないからといって、病巣から取り出した液体の中に、その微生物以外に何もいないかどうかはわからない」

ここまで来て、話しはウイルスに戻る。

タバコモザイク病というタバコの葉を冒す病気がある。1890年代のこと、ロシアの研究者ディミトリ・イワノフスキーがこの病原体の大きさを調べた。彼は陶板(素焼きの陶器)のフィルターを用意し、タバコモザイク病にかかった病葉(わくらば)から抽出した液体を濾過してみた。陶板のフィルターの網目の大きさは0.2マイクロメートル、大腸菌や赤痢菌のような単細胞微生物でも通り抜けることはできない。ところが、、、。
フィルターで濾過した抽出液を塗った葉にもタバコモザイク病が発症したのだ。顕微鏡でも見えないほどの極めて小さい病原体の存在が確認された。

1930年代、電子顕微鏡が発明され、科学者は初めてウイルスを目撃する。

「ウイルスは、栄養を摂取することがない。呼吸もしない。もちろん二酸化炭素を出すことも老廃物を排泄することもない。つまり一切の代謝を行っていない。(中略)しかし、ウイルスをして単なる物質から一線を画している唯一の、そして最大の特性がある。それはウイルスが自らを増やせるということだ。ウイルスは自己複製能力を持つ」

ウイルスは生物か無生物か?

場面が転換し、再び二十世紀初頭のロックフェラー医学研究所に戻る。
オズワルド・エイブリーという研究者がある重要な研究を始めていた。

肺炎の病原体である肺炎双球菌は単細胞微生物で、大別すると強い病原性をもつS型と病原性をもたないR型とがある。通常はS型の菌が分裂するとS型の菌が生まれ、R型の菌が分裂するとR型の菌が生まれる。即ち、菌の性質は遺伝する。
しかし、イギリスの研究者グリフィスは不思議なことに気づいた。加熱して殺したS型の菌をR型の菌に混ぜて実験動物に注射すると、肺炎が発症するではないか。その動物の体内からは生きたS型菌が発見された。

エイブリーは、この現象に着目した。R型の菌をS型に転換させた物質が何であるか特定しようと決意する。そして、苦心の末それに成功したのだ。その物質こそ核酸(DNA)だった。
当時、遺伝子は複雑な構造をもったタンパク質だろうと予想されていた。タンパク質は20種類のアミノ酸で構成される。それに比べて核酸(DNA)はたった4種類(アデニン(A)、グアニン(G)、シトシン(C)、チミン(T) )の分子(ヌクレオチド)で構成されている。そのような単純な構成のDNAに一個の生命体を再現するだけの遺伝情報が担えるはずがないと思われていた。
エイブリーの研究には多くの厳しい批判が寄せられたと言う。しかし、正しかったのはエイブリーのほうだった。

「あらゆる科学上の報償が与えられても過分とはいえないこのエポックは、しかしながら、孤高の先駆者の常としてほんの少しだけ早すぎたのである」

『生物と無生物のあいだ』を楽しく読んだ。わくわくしながら読書するのは久しぶりだった。特に、遺伝子の正体がDNAであると解明されるまでの40数ページはエンターテインメントのようだった。
マンハッタンを巡る観光船サークルラインから見える情景を皮切りに、ロックフェラー医学研究所での野口英世の業績に触れ、病原体特定の困難さを述べ、タバコモザイク病の研究からウイルスが発見される経緯を書き、再びロックフェラー医学研究所に舞台を戻し、エイブリーの遺伝子の正体発見のエピソードにつなげる。
この一連の構成の美しさ。無駄なくよどみない流れ。本稿を書くに当たって何度も読み直したが、この印象は変わらない。
一見華やかに見える科学者の研究発表の裏側にどれだけの地道な作業の積み重ねがあるか、少しは想像できるようになるし、その想像をさらに超えた現実があるのだろうなと思えてくる。

ここで、ひとつ確認しておく。
1962年にノーベル生理学・医学賞を受賞したジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックは遺伝子(としてのDNA)を発見したのではなかった。彼らがノーベル賞を受賞した理由はDNAの二重螺旋構造の解明にある。遺伝子が核酸(DNA)であることを発見したのは、オズワルド・エイブリーだった。
お話しに戻ろう。

DNAの謎を解明する科学者たちの競争が始まる。
ロックフェラー医学研究所と同じくマンハッタンにあったコロンビア大学・生化学研究室のアーウィン・シャルガフが奇妙なデータを得ていた。

「動物、植物、微生物、どのような起源のDNAであっても、あるいはどのようなDNAの一部であっても、その構成を分析してみると、四つの文字うち、AとT、CとGの含有量は等しい」

A(アデニン)とT(チミン)、C(シトシン)とG(グアニン)の含有量が等しくなる構造とは、どのような構造だろうか。この実験データは何を暗示しているのだろうか。
結論はこうである。DNAは二重螺旋構造である。この「二重」という語がシャルガフの謎を解く鍵だったのだ。
DNAは2本の鎖がペアになっている。鎖はA、T、C、Gの4種類の部品からなる。鎖の片方がAのとき、並行するもう一方の鎖の部品はTである。鎖の片方がCのとき、もう一方の鎖の部品はGである。2本の鎖のペアは、A−TまたはC−Gと決まっているのだ。だから、AとTの個数は同じになり、CとGの個数は同じになる。
DNAはA−Tのペア、C−Gのペアが連なった(二重の)鎖なのである。これらのペアが接合する際に形成する角度が螺旋構造を生み出す。(DNAの図はこちら

この二重螺旋がほどけると、つまり、ペアが解消された2本の鎖として分離すると、それぞれの鎖に基づいて新しい鎖が作られる。新しい鎖を作る規則は極めて「単純」である。Aに対してはTを、Tに対してはAを、Cに対してはGを、Gに対してはCを当てはめればよいのだから。
(ただ、実際には極めて「複雑」な化学反応の連鎖なのであるが、、、)

ジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックがDNAの構造を明らかにした論文は、ネイチャー誌1953年4月25日号に掲載された。それはわずか千語、二重螺旋の図が添えられた、ほぼ1ページの短い論文だった。

「では、何がワトソンとクリックをして、DNAラセンの逆平行(アンチ・パラレル)構造に目を開かせたのだろうか。彼らはある重要な手がかりをひそかに「透かし見」していたのである」

ロザリンド・フランクリンは1920年、イギリスの裕福なユダヤ系の家庭に生まれた。
9歳から寄宿学校に入れられ、最高の教育を受け、ケンブリッジ大学に進学する。そこでも優秀な成績を修め、大学院に進むと、物理化学で博士号を取得した。
ロザリンド・フランクリンの専門はX線結晶学で、未知の物質の結晶にX線を照射し、その散乱パターンからその物質の分子構造を明らかにする分野だった。
1950年、ロンドン大学キングズカレッジに研究職のポストを得たフランクリンは、DNA結晶のX線解析を任されることになる。成果は着実に上がっていた。

「着手してから一年ほどの間に、DNAには水分含量の差によって「A型」「B型」二種類の形態が存在することを明らかにし、(中略)それぞれの微少なDNA結晶に正確にX線を照射し、美しい散乱パターンの写真撮影にも成功していたのである」

ワトソンとクリックはそれぞれ別の経路でフランクリンの研究成果(X線写真)を盗み見していた。ワトソンにX線写真を見せたのはフランクリンの上司モーリス・ウィルキンズで、クリックにX線写真を見せたのはマックス・ペルーツという科学者だった。

ロザリンド・フランクリンは1952年、自身の研究データをまとめて年次報告書として英国医学研究機構に提出していた。英国医学研究機構はフランクリンのような研究者に研究資金を提供する公的機関である。研究者は機構に対して研究成果を報告することが義務づけられている。フランクリンは資金の供給を継続して受けるために「あらん限りの成果を詰め込んで詳細な報告書を作り上げた」のだ。その研究報告を評価するレビューアーの1人がマックス・ペルーツだった。同時に、マックス・ペルーツは、クリックが所属するケンブリッジ大学キャベンディッシュ研究所で、クリックの指導教官にあたる立場にいた。

1962年、ワトソンとクリックがノーベル賞を受賞したとき、モーリス・ウィルキンズも同じ功績でノーベル生理学・医学賞を授与されている。同年、マックス・ペルーツもタンパク質の構造解析の功績によりノーベル化学賞を受賞している。このとき、ロザリンド・フランクリンはすでにこの世の人ではなかった。

「彼女は、彼らがそろってノーベル賞を受賞したことも知らず、そして自身のデータが彼らの発見に決定的な役割を果たしたことさえも生涯気づかないまま、この年の四年前の一九五八年四月、ガンに侵されて三十七歳でこの世を去っていた」

ロザリンド・フランクリンの死因は研究のために大量のX線を浴びたことだと言われている。

ここまでで、本書のほぼ半分である。
「なんかタイトルから予想してた話とちがうなぁ」と思いながらも、後半は勢いで読んでしまった。

(1980年代に入ってロザリンド・フランクリンの業績が再評価されるようになり、2008年にはルイザ・グロス・ホロウィッツ賞が遺贈された。これはコロンビア大学が主催する賞で、受賞者の半数以上が後にノーベル賞を受賞していることで、将来のノーベル賞受賞者を探る際の指標と目されている賞である)


生物と無生物のあいだ 『生物と無生物のあいだ』
 著 者 : 福岡 伸一
 発 行 : 講談社(講談社現代新書)
 定 価 : 740円+税

「一九六八年、ワトソンが出版した『二重らせん』は科学読み物としては異例の大ベストセラーになった。(中略)しかし、多くの読者が気づかなかった事実がある。この本はまったくフェアではなかったのだ。著者ワトソンだけが、無邪気な天才という安全地帯にあって、他の人々はあまりにも戯画化されすぎていた。複数の関係者が異議を唱えた。クリックでさえも不快感を表明した。この中で最も不当に記述されたのがロザリンド・フランクリンだった」
(「第6章 ダークサイド・オブ・DNA」より)

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補足:
ルイザ・グロス・ホロウィッツ賞は1967年にコロンビア大学によって創設された。生物学、生化学の分野の基礎研究において、顕著な貢献を行った研究者または研究者のグループに与えられる。日本人では利根川進が1982年に受賞しており、その5年後にノーベル生理学・医学賞を受賞した。

注1:
サークルラインのすべてがマンハッタンを一周するわけではない。見所の多い半周だけのコースもあるので、現地に行かれる方(がいらっしゃるかどうかわからないが)はご都合に合わせてご利用ください。

注2:
『生物と無生物のあいだ』には厳しい批判もある。
福岡伸一批判 「生物と無生物のあいだ」を中心に(2)
福岡伸一批判 「生物と無生物のあいだ」を中心に(3)