『フェルデンクライス身体訓練法』

本書の原題は「Awareness Through Movement」、直訳すれば「動きを通じての気づき」となるだろうか。自分自身に対する「識別力」を磨くことで、動きのコントロールを改善していこうという意図が込められている。

これとよく似ているのが、野口三千三の著書のタイトル「からだに貞く」(“きく”と読む)である。
この二人の考え方は、多くの面でよく似ている。中でも重要なのが、感覚を重視する考え方だと思う。
フェルデンクライスの見解(下記)と野口三千三の見解(稽古雑感ページの
11.ウェーバーの法則」を参照のこと)はまったく同じだ。

「細かい力の変化をつかむためには、力そのものがまず小さくなくてはならない。動きのコントロールを改善して、より繊細なものにすることは、感受性を強め、差異を感じとる能力を高めることによってしか実現できない」

フェルデンクライスは1904年生まれ、野口三千三は1914年生まれである。ほぼ同時代に生きてはいるが、東西の異なる国に生まれ、異なる言葉を話し、異なる教育を受け、おそらく互いに言葉を交わすことがなかったはずの二人が、からだを動かすということについて多くの点で同じ見解に達したということは、極めて重要なことに思える。

フェルデンクライスは、よい姿勢というものを次のように考える。

「よい直立姿勢とは、最小限の筋肉活動で、どの方向へでも望むがままに、同じようにたやすくからだを動かせる姿勢である」(註)

いつでもどの方向にでも動けるということは、筋肉がいつでも動ける状態、筋肉が緊張(収縮)していない状態になっているということである。

「悪い姿勢では、筋肉が骨の役目の一部を努めている。姿勢をよくするためには、重力にたいする神経系の反応をなにが歪めているかを発見することが重要である。生きているかぎり、全身体機構のあらゆる部分が、重力にたいして適合しなくてはならないからである」

重力に対抗して働いているのは、姿勢を維持する筋肉だけではない。フェルデンクライスは下あごやまぶたなどを例にとって、私たちがいかに筋肉の働きに気づいていないか、「どうやって立っているのか知らないまま立っている」かを説明する。
下あごをだらんと下に垂らすためには、かなり意識して関係する筋肉の働きを抑制しなければならない(実際そうすると、表情や目つきまで変わってしまう)。まぶたについては、誰もまぶたを持ちあげているとも思っていないし、まぶたが重いと感じるのは、よほど眠いときだけだろう。

「直立姿勢とそれに伴うあらゆることがらは、神経系の特定の領域で組織され、その領域は実に多くの複雑な仕事を遂行しているが、そのかすかなしるしくらいしかわれわれの意識のなかには入ってこないのである」

人間は生まれながらにもっている能力が、動物よりもはるかに少ない。動物は生まれてすぐに歩けるようになるが、生まれてすぐの人間は二足歩行できないし、立てもしない。それどころか、誰もが生まれ落ちた瞬間に呼吸し始めるとは限らない。「ときには、赤ん坊が最初の息を吸いこむ前に、手荒な処置を講じなくてはならない」ことさえある。

しかし、動物のような誕生前にできあがっている能力は変更がきかない。人間は生まれた環境に適応することができる。
フェルデンクライスは、動物のもつ強い本能に代わるものが、人間の学習能力の大きさだと考えた。
中国で生まれ育った人は中国語を話すようになるし、成長後に別の言語を覚えることもできる(逆に、外国で長い期間を過ごせば母国語を忘れることもあるが)。
姿勢も同様である。人間の姿勢が個体それぞれで異なるのは育った環境が異なるからであり、成長後に姿勢を変えることもできるのだ。
「よい姿勢」を取り戻すために、重さを骨で支え、筋肉で重さを支えないようにする。からだの感覚を磨いていれば、そのような学習が人間には可能なのである。

フェルデンクライスの本の中には引用したい言葉がいっぱいあるが、ひとつお気に入りを紹介する。

「どんなことでもうまくやれた場合には、むずかしくは見えない。むずかしく見える動きは、正しく行われていないからだと言ってもさしつかえないだろう」 2004.3.21.


註: このフェルデンクライスの言葉を野口三千三の言葉で説明するとすれば、次の部分がそれにあたると思う。
「ほんの少しの小さな力によってバランスが崩れてしまう状態は、極めて頼りないように思われる。しかし、この状態はほんの少しの小さな力によってバランスを保つことができる状態でもある。これが生きものの安定状態である」

『フェルデンクライス身体訓練法』

著 者:
モーシェ・フェルデンクライス
訳 者:
安井 武
出版社:
大和書房
定 価:
2,520円(税込)

「以下のレッスンで意図しているのは、能力を改善すること、すなわち、可能性の限界をひろげ、不可能を可能に、困難をたやすいものに、たやすいものを楽しいものに変えることである。なぜなら、たやすくて楽しい活動のみが、人間の日常生活の一部となり、いかなる場合にも役立つものとなるからである。実行するのが苦しい行動、そのために自分の内部の抵抗を無理矢理克服しなければならないような行動は、自分の日常生活の一部とは決してならない。」
(「一般的な問題点」-能力の改善-より)


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