『スポーツの達人になる方法』

このタイトルだけ見ると、最近の武術ブームにのって出版されたかのような印象を与えかねない。しかし、実際には、5年前(1999年)に理工系の出版社であるオーム社から出版された本である。
大きさは新書サイズで、約150ページと分量は多くない。
それでも、いくつかの大切な視点を提示しているので、今でも参考になると思う。

1章 イメージのもち方は、筋力のコントロールの質を変える
2章 筋肉の使い方を誘導するフォームの働き
3章 骨格と関節と筋肉からできている人の身体の特性
4章 パワフルで巧みな力を引き出すには
5章 「双対な動作」で動きを科学する
6章 「コマの原理」を理解して上達する
7章 コーチングのバイオメカニクス

特に、「5章 「双対な動作」で動きを科学する」は、他の本には見られない視点なので、お読みになってみることをお勧めしたい。 今回は3章と7章の内容をちょっとずつ紹介する。

筋肉の収縮速度は毎秒数メートルに過ぎないが、野球選手が投げるボールの速度は時速100kmを超える。これは人間が後天的に獲得する「技術」のおかげである。生まれついたままの人間にできることではない。
そのようなことを実現させる投球動作は、下肢・腰・胸・肩・腕・手を巧みに連動させることで成り立っている。著者は、投球動作中の腰・肩・肘・手の水平移動速度の変化から、これらの部位が体幹部から末端部へと順に加速されていくことを確認する。

「下肢の働きを中心として全身に生じた運動エネルギーを、最終的には手からボールにまで効率よく伝えるには、主たる回転軸となる関節が次つぎと移動しながら、全体としては二重振子の構造を保持していることが必要であると考えられる」

著者の分析によれば、ボール投げが上手にできない一因は、複数個所の関節を同時に動かそうとするイメージのせいではないかという。
こうした考察は、野口三千三の次のような言葉を裏付けるものと言えるだろう。

「力が集中するということは、身体各部の力を同時に出すことではなく、その動きに最適な順序にしたがって出していくことである」
「ある一瞬に働くべき筋肉の数が少なすぎることによる誤りはきわめて稀で、誤りの多くは、ある一瞬に働いてしまう筋肉の数が多過ぎることによって起こる」
(いずれも『原初生命体としての人間』より)


では、自分の力が「その動きに最適な順序」で発揮されているのか否か、どのように判断できるだろうか。
一例として、著者はある陸上競技選手の言葉を引用する。

「100メートルを12秒台で走っていたときは、練習するとふくらはぎが痛くてしょうがなかった。ところが、11秒台で走る先輩は、太腿の付け根が痛いというので不思議であった。ところが、わたしも11秒台で走れるようになると、ふくらはぎは痛まなくなり、やはり大腿が痛くなってきた」

練習を重ねるにつれて、筋肉痛を起こす部位が変わっていく。陸上競技でなくても、似たようなことを経験されている方は多いと思う。
それが技術の向上によるものかどうかは、コーチの意見や先輩の経験などを参考にして判断するのだろう。
ただ、少なくとも何らかの変化が生じているということが大切だ。変化がなければ上達の可能性もないからである。

ところで、動き(型、フォーム)を見る時には注意すべきことがある。
本書ではこの点について、重りを吊したバネの動きで説明している。
バネが上下に伸び縮みしている時、重りを上げる力と下げる力はどの時点で最大(あるいは最小)なのだろうか。
重りがもっとも高い位置にある時、重りを下げる力が最大になり、重りが最も低い位置にある時、重りを上げる力が最大になる。

これを逆にイメージしないように気をつけなければならない。
つまり、重りを上げる力が最大だから重りがもっとも高い位置にあるのではなく、また、重りを下げる力が最大だから重りが最も低い位置にあるのではない。
(ちょっとややこしいと感じたら、バネの図を描いてみよう)
例えば、走る動作で言えば、脚が後方に降り出された状態が最も引きつける力が必要な時で、折り曲げた脚を前方に振り上げた状態が最も振りおろしの力が必要な時である。これを逆にイメージすると、脚が後方に流れ、前方への切り返し(ターンオーバー)が遅れ、速く走れなくなってしまう。
速く走れる選手のフォームが後方までよく脚が伸びたフォームだったとしても、その選手は後ろに脚を伸ばすイメージでは走っていないはずである。

力の発生とその力によって生じる動きとの間には、時間差がある(ただし、力の伝達そのものに時間差があるのではない。力は瞬時に伝わる)。

このことは、見る時だけでなく、動きを言葉で伝えたり、手本となる動作を示したりする場合にも考慮しておかなければならない。
本書(7章)で紹介されている「示範せず要領を教えない指導法」は、たいへん興味深いものである。 2004.11.21.

『スポーツの達人になる方法』

著 者:
小林 一敏
出版社:
オーム社出版局(テクノライフ選書)
定 価:
1,470円(税込)

「先生が必要な水の温度を相手に教える場合に「やっと我慢できる程度の熱さ」と言っても相手には正確に伝わらない。このとき同じ湯に先生と生徒がともに手を入れていて、「今の温度だ」と言えば、感覚は違っても物理的状態を感覚的に伝えることができる。同様に、生徒の運動が望ましい物理的状態にあるときに「ハイ! 今の感じを覚えておけ」と言えば必要な感覚を正しく伝えたことになる」
(7章「コーチングのバイオメカニクス」より)


TOP