『続・日本の歴史をよみなおす』

われわれは日本という国について、次のように思っていることが多いのではないか。

「日本は島国で、周囲から孤立した閉鎖的な社会であり、それだけに一面では他からの影響をあまりうけることなく独特な文化を育てることができた」

本書を読むと、このような見方がひっくり返される。

「日本の社会は、弥生文化が日本列島に入ってからは、江戸時代まで基本的に農業社会であり、産業社会になるのは明治以降、さらに本格的には、高度成長期以降である」

このような見方についても、見直しを余儀なくされる。

著者がこのような「常識」を疑うきっかけになったのは、神奈川大学日本常民文化研究所による奥能登と時国家(ときくに・け)の調査だった。

時国家は、大勢の「農奴を駆使する大農場経営者」と思われていたが、そこに残された古文書を整理している過程で、百姓=農民という図式が崩されていく。

時国家は、江戸時代以前から大きな船を2~3艘以上所有しており、松前から佐渡、敦賀、大津や京、大坂とも取引をしていた。
この船は、昆布や、塩、炭などを運んでいたらしい。時国家は海岸で製塩を営んでおり、山では炭を焼いていたのである。
時国家は、前田家に鉛の採掘をしたいと願い出ている。この鉱山経営が実現したかどうかは不明だが、鉱山経営に乗り出せるだけの資力はあったらしい。
時国家は港に近い場所に倉庫を持ち、年貢米や塩などの物資の出入りを管理していた。蔵に預かっている米や塩の代銀を流用して金融業も営んでいたらしい。
つまり、時国家の実態は「多角的企業家」だった。
ところで、ここに「柴草屋(しばくさ・や)」という廻船商人が登場する。
江戸初期に時国家がこの柴草屋から百両の金を借用している。柴草屋はそれだけの財力を有する廻船商人である。
ところが、柴草屋の公式の身分は、「頭振(あたまふり)」だった。

「加賀・能登・越中の前田家領内では、石高(こくだか)を持たない無高の百姓(ひゃくしょう)を「頭振」とよんでいます。しかし、能登でも天領では頭振を水呑(みずのみ)といいかえていますから、頭振は水呑のことで、柴草屋は水呑だったことになります」

百両もの金を貸せる者が水呑百姓とは、どういうことだろうか。

「柴草屋は廻船と商業を専業に営んでいる非常に豊かな人ですから、土地など持つ必要は毛頭ないわけです。ところが、江戸時代の制度ではこうした人もふくめて、石高を持っていない人びとが、水呑、あるいは頭振に位置づけられていたことが、これで非常にはっきりわかりました」

詳細な説明は本書をぜひ読んでいただくとして、著者らの調査によれば、輪島の71%の頭振(水呑)の中には、漆器職人、素麺職人、それらを販売する商人、北前船を持つ廻船人などが含まれているという。
奥能登は田畑がすくないから貧しいところ、というのは思い違いで、土地を持つ必要がない人が大勢いたのだ。そして、このようなことは奥能登だけのことではなく、日本列島の全体に言えることなのである。

「江戸時代の「村」は、決してすべてが農村なのではなく、海村、山村、それに都市までをふくんでいるのです」

現代でも、江戸時代でも土地(田畠)に関する書類は大切に保存される。土地に税金がかかる制度のもとでは当然のことである。したがって、そうした文書はたくさん残されているし、目につきやすい。
ところが、近年、いったん破棄された文書が残されている例が見られるようになってきた。
例えば、紙が貴重品だった時代には、廃棄する文書の裏に日記や記録を書いていた。残された記録文書の裏に、今まで表に出てこなかった商取引の証拠が保存されている場合がある。

「安土・桃山時代から江戸時代になると、襖(ふすま)や屏風(びょうぶ)の下に張られた文書が発見されます。これを襖下張り文書といいますが、これも破棄されてしまうはずの文書が、下張りに再利用されてたまたま伝わった文書なのです」

時国家では襖紙を保存していたため、蔵に残されていた1万点近い江戸時代の文書にも記録されていないことが、新たに判明したのだ。
実は、時国家は千石積、八百石積の巨大な船を四艘も持っていた。大坂から北海道までの一航海で千両を超える取引をしており、利益が三百両にもなっていたらしい。また、この船はサハリンまで行ったこともわかった。

襖下張り文書の世界では、この北前船の船頭である「友之助」さんは、自分の裁量で千両の取引を仕切っているが、蔵に伝わる文書の世界では、「友之助」さんはわずかの土地を借りて耕している下人でしかない。

「百姓」ということばは、もともとは一般の人々という程度の意味である。中国や韓国では今でもそのように使われている。官僚ではない一般の人民を「百姓」(いろんな姓をもった人たち)と呼ぶ。

「百姓には本来、農民の意味はまったくふくまれていないのです」 2005.7.10.

『続・日本の歴史をよみなおす』

著 者:
網野 善彦
出版社:
筑摩書房(ちくまプリマーブックス)
定 価:
1,260円(税込)

「われわれ自身が日本人とは何かについて、ほんとうにきちんと考えておかなくてはならない時期が確実に来ており、これまでにない緊張した問いかけがわれわれにたいしてなされていることは間違いありません。しかしそういう状況にあるにもかかわらず、日本人自身が自らの歴史と社会をはたして正確にとらえているかというと、決してそうはいえないと、私はこのごろ痛感しています」
(「はじめに」より)


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