『至虚への道』

本書は、NPO法人日本健康太極拳協会の機関誌『太極』に1998年から2003年まで連載されていた原稿をまとめたものだ。
著者は、その日本健康太極拳協会のトップである。

太極拳というと、書店の健康関連本の棚では定番商品である。
だから、この本も太極拳がいかに健康によいかという本だろうと思うと、違うのである。

本書で解説されている「太極拳経」という文献は、太極拳の愛好者は必ず知っている文献である。
もともと題名などなかったらしいのだが、いつしか「太極拳経」と呼ばれるようになり、その理論を体現した武術を「太極拳」と呼ぶようになった。
(そして、「太極拳」が注目され人気を集めるようになると、本来は別の流派だった武術も「太極拳」を名乗るようになったりする、、、が、これは別の話)

「太極拳」という呼び方が定着してからおよそ150年、新しいとは言えないが、よく言われる「中国三千年(とか四千年)」に比較したら、古いとは言えない。
「太極拳」はけっこう新しい武術なのである。

中国武術の特徴を表すとき、三つの効能と三つの表現があるいわれます。
三つの効能とは、
「健身」、体を健康に保つこと。
「修身」、武徳・道徳。
「防身」、体を護ること。
防身には、敵の攻撃だけでなく病気から体を護るという意味も含まれています。
三つの表現は、体育スポーツとしての「競技」、伝統的な健身法としての「伝統」、武術の技法・技術としての「攻防」が挙げられます。

本書のテーマである「太極拳経」に書かれているのは「攻防」の技術のみであることをお断りしておかなければなりません。


本書のテーマは「攻防の技術」で、「健身」ではない。
太極拳を健康法としている会員向けに「攻防の技術」を解説する?
なぜだろうか。

太極拳を練習する上での正しい方法とは「攻防の技術」を知ることです。
たとえば、ひとつひとつの動きで姿勢が正しければ美しく見えます。
では正しい姿勢が美しいとすれば、美しい姿勢はすべて正しいといえるでしょうか。
たとえ非常に美しい姿勢であっても正しいとはいえないものがあるかもしれません。


世の中には健康増進に役立つ体操がたくさんある。そうした状況でなぜあえて太極拳を続けるか。その理由は太極拳の武術性にある。
太極拳の武術としての特性が、体の動きの妥当性を測る物差しとなるからである。

無駄な動きがないか。
各所の関節の位置は適切か。
重心の位置、移動に無理がないか。

何をもって無駄というか、何をもって適切というか、その判断基準を太極拳の武術性がもたらすのである。

太極拳を学び始めるとまず最初に歩き方を教わる。
太極拳で前に歩を進める際には、前に倒れないようにすることを教わるのである。

歩くという動作は、一般的には、前に倒れながら脚を出していく。
太極拳では、脚を前に出すときに重心を前に移動させない。体の別の部分を反対方向に動かして重心の位置がずれないようにするのである。
それから軸足を曲げて重心を降ろすことで前に出した脚を着地させる。
前に出した脚が着地してから、前方への重心移動が始まる。

このように、太極拳の移動動作はふだん我々がなにげなく行なっている「歩く」動作とはまったく異なるものなのです。
「歩く」ということは、前に倒れながら脚を出しているわけですが、ふだん我々は、歩いているときに、前に倒れている実感はありません。そしてこの実感のなさが、理論と実践の誤解につながります。


「歩く」(動く)ことで健康増進を図ろうというのなら、太極拳の要求する方法にこだわる必要はないわけである。ただ、いつも通りの歩き方で、景色の良いところを歩いたり、仲間とおしゃべりしながら歩いたりすれば、一定量の運動が確保でき、足腰の衰えも防げるわけである。

健康のために太極拳を続けるのであれば、太極拳が武術として要求する動き方の原則を守らなければ、太極拳を選んでいる意味が無くなってしまうのである。

これから太極拳を始めようという方々には、ぜひ太極拳の武術性に目を向けていただきたい。
すでに何年も太極拳を稽古されている方々には、いま一度、太極拳動作の武術的な特徴を再認識していただきたいと思う。

動画:(Ma Yu Liang push hands)

これは別のページ(稽古雑感「長拳と太極拳」)で紹介した動画だが、呉式太極拳の達人、馬岳梁老師の推手(太極拳の練習法の一種)である。

馬岳梁師の動きを見ているだけでは、何が起こっているのかを読み取るのは難しいだろう。
太極拳の動きを考えるには、刻々と変化していく相手と自分との関係を前提に考えなければならない。

相手の関節の位置はどこか。自分の関節の位置はどこか。
相手の重心の位置はどこか、どちらに動いているか。自分の重心の位置はどこか。

こうした状況を無視して、自分のお気に入りの技をかける、などということはできない。

力のないものが力のあるものに勝てないのは物理の法則に適ったことであたりまえ。その事実を覆すには相手の力を無力化する技が必要です。
(中略)
力に頼らないで相手の強い力を制御するために、コントロール能力を得るのです。
(中略)
方法と理論を学ぶことにより、相手の強い力を利用して、弱い自分が劣勢に陥ることなく相手の力を制することが可能になるのです。
ただし、いくら理論を勉強しても、それだけでは机上の空論に終わってしまいます。
理論は動作と結びついてはじめて価値が出る。その価値を生み出すために理論と動作を結びつけるのが「感覚」です。


先の動画で私たちが見たのは、「感覚」の差なのである。

太極拳の練習は、最初は型(套路、とうろ)を覚えることから始まる。
型を覚えたら、感覚を練る訓練を始める。
そうして、少しずつでも武術としての太極拳を学んでいくことが、真の健康法となるのである。 2010.3.7.


『至虚への道』誤字の訂正:
冒頭の<太極拳経>の全文の中に1か所誤字があります。
6行目の先頭の「迎」は誤り。「仰」が正しい字です。
同じく、103ページのタイトル先頭の「迎」は誤りで、「仰」が正です。
本文2行目の「迎」も誤りで、「仰」が正です。
37ページの2行目、「制しているものが動き出す」とあるのは誤字で、正しくは「静止しているものが動き出す」です。

『至虚への道』

著 者:
楊 進
出版社:
二玄社
定 価:
1,500円+税

「相手の能力を知らずして先手必勝の策に出ることは「以弱勝強」の原則がある限り無知・無謀の策であり、臆断のそしりを免れません。
しかし多くの場合、ひとは力に頼り、相手を知る以前に判断を下そうとし、ほんとうに相手から伝わってくる感覚を味わう以前に周囲に乱れ飛ぶ憶測を信じたりしてしまいます。
太極拳の本質は「捨己従人」の理解と実現にあります。そのために必要なものは感性にほかなりません」
(「落」結論と指針 より)


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