5.「型」とは何か

「そもそも型とは、古人が残し伝えようとした武術的身体、すなわち実戦の場で自己の身体、生命を保持し、相手を制圧することのできる術技的身体を創り上げるための方便、階梯であり、あったはずである。このことは、型そのものは実戦の雛型ではないということを意味する」

黒田鉄山はこの本のすべてを費やして、型稽古の意味を語っています。型が大切であるとか、型が重要である、といった相対的な説明ではありません。型がすなわち武術なのです。
そこでは型が実戦に役に立つかどうかといった視点は否定され、型を忠実に再現することが要求されます。
黒田鉄山は祖父から伝えられた型を、そこに込められている動きを体得するにつれて、身体が変化してゆくことを語ります。つまり、型を再現するためには、身体の変化が必要だったのです。
この身体とは、物質的な肉体という意味ばかりでなく、動きの土台となる筋肉や骨、神経の働きを表します。型を再現できる身体、型を実現できる身体を得ることが大事なことなのです。 そうした身体を得ることで、「無足の法」「消える動き」「等速度運動理論」などが実現できるようになるのです。
これらの理論を太極拳で言えば「立身中正」「沈肩垂肘」「上下相随」「気沈丹田」などの秘訣がそれに当たるでしょう。これらの言葉は、単なる動作要領ではなく、身体があるレベルに達した人にとっては、具体的に実感として感じられるものではないでしょうか。その実感を得るために型が用意されているのです。冒頭に引用した言葉の「術技的身体を創り上げるための方便、階梯」という表現はこのような意味でしょう。
型稽古の大切さを説くこのような視点は、今や各所でオープンになってきているように思います。 胴体操作の重要性や、インナーマッスルの重要性などと併せて基本動作の正確性を語るのは、当たり前になってきているように思います。

1.型に込められた動きを理解する。
2.型を忠実に再現できる身体をつくる。

動きを変えるには、身体を変えるのが遠いようで実は早道なのだと思います。だから地味で基本的な鍛錬法をおろそかにしてはいけないと言われるのでしょう。
ある人が「型はタイムカプセルだ」と言いました。型に込められた動きの本質は、ある時代には理解されなくても、いつか別の時代に誰かに発見される可能性があるというのです。この表現は「型を安易に変えてはいけない」という戒めとも取れるでしょうし、「タイムカプセルとしての価値を保っていない型もある」とも取れるでしょう。 2002.08.12.

『気剣体一致の武術的身体を創る』

著 者:
黒田 鉄山
出版社:
BABジャパン
定 価:
1,995円(税込)

「型を実戦の雛型ではないととらえることにより、その型が、その型の要求する術技的身体運動そのものとして表現された時、それは「型を離れる」のではなく、すでに実戦に直結した武術的身体として表現されたことになる。そのようなことが実現されるには、型の体系が崩れていないということ、つまり、型が形骸化されていないということが絶対条件となる」
(「第二章 型の世界」より)

「武術を学ぶ動機は、千差万別であろう。優劣強弱の問題を含め、その武術的身体をいかに武術的に活用するかは各人の見識や価値観、趣味趣向の範疇に属することだ。しかし、武術の体系は上にあがるにしたがい、柔和穏健となり、われ武術家たることを人にも知らせないようになる。なれなければ、低い位で低迷するしかない。武術的身体を得ること、健康なる社会人の一員としてつつがなく生活をすることを目標に稽古を積むのである」
(「第一章 武術的身体とは」より)


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