30.歩行を感じる

ビリーズ・ブート・キャンプが話題になっています。今やビリーと言えば、あのエクササイズを指します。
しばらく前には、ヨガやピラティスが流行っていました。ヨガの本は今でも手を変え品を変え出版されています。最近は太極拳の入門書が目立つところに置いてあったりします。
またテレビでは、家にいながら乗馬のような運動ができるという電気製品のコマーシャルが流れています。

しかし、21世紀の日本人はとうとう真の健康に目覚めたのかと問えば、誰もが「まさか」それとも「ありえない」と言うでしょう。
おそらく大勢の人たちは、健康ブームや運動ブームの迷走が続くであろうこと、ブームの主役が入れ替わったところで、効果がない(例えば、成人病予備軍の数が減らない)だろうことを漠然と意識しているのです。

さて、そのような流行とは関わりなく、ちょっとだけ自分の身体に意識を向けてみましょう。

「私たちの身体は、もともと優雅に効率よく動けるようにうまく設計されている。にもかかわらず、早くも幼少の頃から身体機能を阻害するような動作パターンを身につけてしまう人が多い」
(『ボディワイズ』「第3章 身体の順応性」より)


歩き方をどのように学習したか、幼児の頃の体験を思い出せる人はいないでしょう。しかし、間違いなく我々は学習したのです。歩き方を。生まれたときは歩けなかったのですから。

「もし三世代の家族がいっしょに歩いているところをうしろから見る機会があったら、よく観察してみよう。その人たちのしぐさに、一家共通の現象とでもいう特徴が発見できることだろう。(中略)ジョン・スミス・ジュニアは父親のジョン・スミス・シニアに似た歩き方をするし、彼の息子もまた彼に似た歩き方をする」

「歩行」に関して、日常生活で困ったことなんかないのに、なんで「歩行を感じる」必要があるのか。あるいは、ウォーキングならデューク更家のエクササイズがあったねぇ、などと思われるかもしれません。

(でも、ちょっと実験してみましょうよ)

ただ、他人の歩き方を真似するだけです。
例えば、前を歩いている人の右足の先が外に開いています。左足は進行方向に向かっているのに。
この真似をして、左足先はまっすぐ前に向け右足先を外に開いたまま、歩いてみます。しばらく、歩き続けてみます。どんなふうに感じるでしょうか。どこかが疲れないでしょうか。どこかに動きにくい感じがないでしょうか。
あるいは、左肩が前に右肩が後ろにと、やや上体がねじれている人がいたら、その真似をして、しばらく歩いてみます。いつもより疲れるところがないでしょうか。

観察の手がかりは、左右の違いを見ることです。肩の高さ、顔の向き、腕の振り、脚部の振り方、膝の曲がりぐあいなどです。他には、首の傾き、肩の丸めぐあい、背中の反りなどが考えられます。

ところで、中国近代の作家、魯迅(ろじん)の有名な小説『阿Q正伝』にこんな一節があります。

「この男は前に城内へ行って洋式学校にはいり、どういうわけか、そのあと日本へ行った。半年たって帰ってきたときは、足も西洋人のように膝がまっすぐになっていたし、辮髪(べんぱつ)もなくなっていた」

「西洋人のように膝がまっすぐ」とはどういうことでしょう。岩波文庫版には注釈がついています。

「歩行のさまを見て西洋人には膝関節がないという風評がひろまり僻地でひろく信じられた」

さすがに、上海や北京のような都会では「西洋人には膝がない」などと思う人はいなかったでしょうが、中国人の目に映った西洋人の歩き方はよほど特異なものだったのですね。
(西洋人の目から見た中国人あるいは日本人の歩き方も変わっていたのでしょうか)

観察の対象は日常的に目にする日本人でいいのですが、ときには西洋人(や東洋人)を対象にするのも良いかもしれません。その歩行を観察して、真似をしてみます。良し悪しの判断はしないで、ただ真似をして感じます。
あなたが真似をしているその人にとっては、その歩き方が自然なのです。

では、あなたの歩き方をマネしている誰かは、あなたの歩き方をマネして何を感じているでしょうか。

あなたの歩き方をマネしている誰かが、あなたの歩き方をマネして感じることを、あなたは想像できるでしょうか。
2007.7.15.

補足:
通勤時に周囲の人を観ていると、たいていの場合、重い荷物を持っているほうの肩がわずかに上がっています。手提げでもショルダーバッグでも。私は以前、カバンは常に左手で持つようにしていました。左手を少しでも鍛えるために。今は90%以上リュックです。

蛇足:
マネして(あるいはマネを試みて)何かが感じられるのは「歩き方」だけではないかも。。。

『ボディワイズ』

著 者:
ジョゼフ・ヘラー + ウィリアム・A・ヘンキン
訳 者:
古池 良太郎 + 杉 秀美
出版社:
春秋社
定 価:
2,625円(税込)

「子供の頃に習い覚えた動き方のなかには失敗作もある。それは、転んだりつまずいたりというような、どんな人もいずれは克服できる明らかなエラーではなく、成功の輝きの陰で目立たなくなっているエラー、つまり不完全なバランスの類である。私たちはこの種のエラーを修正するために、筋肉を緊張させるなどの努力をする。その結果、最初のエラーとそのエラーの修正に必然的にともなうエラーを合体させて、その先の人生をずっとそのやり方で続けていくのだ」
(第3章「身体の順応性」より)


TOP