38.棍は百兵の首

武術を学ぶものは一般に徒手の武術(徒手=‘武器を持たない’の意)だけではなく各種の武器術も並行して学びます。

「武芸十八般」という言葉があるように、武士は複数の戦闘技術を身につけることが当たり前でした。
宮本武蔵は『五輪書』の中で、各種の武器の長所・短所をよく理解して時と場所に応じて使い分けることの重要性を説いているそうです。(すみません、『五輪書』は読んでないので伝聞です)

太極拳を学んでいる方々の中には、剣や刀、近年流行りの扇などを練習している方も多数いらっしゃいます。中国武術では、両刃を剣(けん・つるぎ)、片刃を刀(とう・かたな)と呼んで区別します。(練習や表演で使用する「武器」は一般に軽く、へなへなで、何も切れない物です。銃刀法に違反するような物ではありません。念のため)

道具を持って動くことで新たな発見をする、それまで習ってきた身体の使い方を再認識する、ということがあります。
異なる道具(武器)を持ったからといって、身体の使い方がガラッと変わるということはありません。そもそも、道具(武器)は人が使いやすいようにデザインされ、そのデザインに改良が施されてきているわけです。
異なる武器を持ち、異なる型で動く。そうすることで、基本となる身体の使い方を別な視点から見るきっかけができます。
書籍やインターネットで雑多な情報をかき集めてあれこれ考えるより、いくつかの武器を振り回してみて、身体に聞いてみるほうが早いかもしれません。

もちろん武器(の模造品)を振り回すことがただ単純に楽しいという感覚もあるでしょう。

このページのタイトルは「棍は百兵の首と為す」(こんはひゃくへいのしゅとなす)という中国武術の言葉からとっています。
棍は武器の最高位にある、という意味です。また、「首」には物事の始まりという意味があり、棍術が武器術の歴史の始まりにあるという意味を含んでいます。
また、中国武術の学習者が武器を学ぶに際しては、棍術を最初に学ぶのがよいと言われています。

棍、つまりはただの棒ですが、用法は豊富です。剣や刀と違って、棒の先端から中央までどこを持ってもよいからです。片手で振っても両手で振ってもよく、突きもたいへん有効な使い方です。
中国武術に限らず、日本の棒術でも持ち手をスライドさせることで、棒の長さを相手に見せないような使い方をしますし、片手から反対の手への持ち替えも自在です。
下に紹介しているDVDは、「鞭杆(べんがん)」と呼ばれる短い棍の入門用DVDです。
鞭杆はおおむね床からみぞおちまでの長さで、その昔、中国西北部の羊飼いたちが使っていた鞭(むち)が原型と言われています。元は棒の先に鞭が付いていたのです。

棒を所定の位置で持ち、棒の先を一定の方向に向けることで、自ずと両手の位置が定まります。
棒の動く軌跡をイメージすることで、その軌跡を実現するのに必要な手および身体(ひいては脚)の動きが明確になります。実際の棒の軌跡がイメージしていた軌跡と異なる場合は、手の使い方、身体の動き方、脚の捌(さば)き方など、どこかにその原因があります。実際の棒の軌跡をイメージに近づけていくことで、動き方を修正することができます。

最近の新聞記事で「道具」は「道」を「具(そな)」えるだとありました。この「そなえる」を「資質を備える」の「そなえる」だと解釈すると、「道具」自体がその使い方をもっている、あるいは逆に、自らの使い方を示す物が「道具」であるというように考えられます。
「道具」のこのような性質を「アフォーダンス」と呼ぶのです。

槍や棍(棒)などの長い武器、剣や刀などの短い武器、鞭や鎖ひもの先におもりを付けた武器など、いろいろと特性の異なる武器を使うことで、身体の使い方の「引き出し」が増えることが期待できます。

ただし、いろいろな武器を勉強するようになると「オタク」と呼ばれることもあるかもしれません。そのへんは自己責任でお願いします。 2008.10.28.

補足:
「刀は百兵の帥と為す」(刀は武器の将軍である)とか「剣は百兵の秀と為す」(剣は武器の中でもっとも優れたもの)という言葉もあります。「それじゃぁどの武器が一番なんだよ」などと怒らないように。どの武器にもその武器に適した場面・用法があるのです。

蛇足:
学校のクラブ活動では、柔道部や剣道部、空手部、弓道部などと種目別に部や同好会ができていることがほとんどで、それらを複数学ぶことは「かけもち」という少々マイナスイメージを含んだ言い方をされるのではないでしょうか。本来、複数の武術、スポーツを並行して学ぶことが直ちに悪いことではないはずですが。

『鞭杆入門』(DVD)

指 導:
楊 進 + 楊 崇
監 修:
内家拳研究会
協 力:
中部内家拳研究会
出版社:
ベースボール・マガジン社
定 価:
5,000円+(税)


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