52.変化を秘める

この稿を書くために、だいぶ前に読んだ本を引っ張り出しました。楊名時(師家)の『太極拳のゆとり(第二版)』です。
今も同じ表紙なのかどうか確認しようと思い、Amazonで検索してみたら、『太極拳のゆとり』は現時点では古書でしか手に入らなくなっていることを知りました。しかも、私が持っている本の定価より高い値段が付けられていました。高いものでは4000円以上の値が付いています。
この本をお持ちの方はぜひ大切になさってください(←『なんでも鑑定団』モード)。

さて、本題です。
太極拳のコツというか要領を示す言葉に「分清虚実」または「虚実分明」という言葉があります。
ここでいう「虚」と「実」は重心の載せ方を表します。ウソかマコトかという意味ではありません。

「虚実とは、具体的にいうと、重心のかかっている足が実、そうでないもう一方の足が虚である。全身の重心を右足にかけているときは右足が実であり、左の足が虚である。(中略)一方を実にし、片方を虚にすれば、転身、移動が非常にスムーズにでき、むだな力を省くことができる」
(『太極拳のゆとり』「稽古要諦」より)


太極拳の動きは片足だけで立っている場面がけっこう多いのです。初心者の方々にとっては、バランスを崩さずに動くことが課題となります。
例えば、前方にゆっくり移動する動作では、前足に重心を移した後、後ろ足を引き寄せ、それを前方に差し出して着地させるまでの間は、ずっと片足で立っていることになります。このとき、後ろ足を早めに引き寄せることがポイントです。後ろ足に体重が残っているとむしろバランスを崩しやすいのです。

ただ、片足で立っていられればそれでいい、という訳でもありません。
ここで、太極拳の言葉がもうひとつ出てきます。「円襠(えんとう)」です。
股関節を緩めて重心がスムーズに移動できる状態にすることです。左右の太腿部が逆V字形になって腰を支えるのではなく、逆U字形になって腰を載せるような要領です。

「虚実は固定したものではなく、つねに自由自在に変化しうるように、前後左右、動くときは腰を中心に、ネコが歩くように、静かに注意深く足を運ぶことがたいせつである。危険を感じたら、すぐ後退できるように、進退屈伸を自在にしておくことである。変化をつねに内に秘めているのである」
(『太極拳のゆとり』「稽古要諦」より)


ここで、野口三千三の言葉を紹介しましょう。
この文章は、野口体操の逆立ちの説明の中にあります。人間の立った姿勢は超高層ビルの柔構造のようなものであること、逆立ちの姿勢でも呼吸や発声が楽にできうることを述べた後に書かれています。

「すべての姿勢や動きにおいて、どの瞬間どの部分でも、自分でゆすろうと思えば「ゆする」ことができるようでなければ、新しい可能性を含んだ状態とはいえない」
(『原初生命体としての人間』「第4章 原初生命体の動き」より)


野口三千三の言う「自分でゆすろうと思えば「ゆする」ことができる」=「新しい可能性を含んだ」状態と、楊名時の言う「変化をつねに内に秘めている」状態とは、同じことです。

一般には、両脚を大きく開き、腰を低く落とした状態が「安定」しているように感じられます。
ところが、野口三千三の見方は異なります。

「動かない建物の場合には、地球につながる土台は、広い方が安定します。しかし、動くものの土台は、広く幅を取ると逆に不安定になります。次の瞬間の動きの可能性を妨げます」
(『感覚こそ力』「野口体操・動きの理論」より)


太極拳を何年か練習してみると、このことに納得できると思います。腰を低くして動くのは難しいですよね。脚力も柔軟性も必要になってきます。おそらく、太極拳で姿勢を低くして練習するのは「安定」のためではなく、別の目的(下半身の鍛錬とか)があるのだと考えておくほうがいいでしょう。

野口体操や太極拳でいう「安定」(平衡状態=バランスがとれた状態)とは、「固定」ではありません。変化を内に秘めた状態なのです。 2011.5.8.

補足:
楊名時師家といえば、日本に「健康」太極拳を広めた人というイメージですが、『太極拳のゆとり』の「稽古要諦」の章は武術的な考察が多数書かれています。

蛇足:
鞭杆(ベンガン)も同じですよ~。

『楊 名時』

著 者:
楊 名時
出版社:
文化出版局
定 価:
(新刊はありません)

「太極拳の太極とは、無極、宇宙という意味だが、極をつくらないという意味でもある。空手のようにきめずに、次々と技を繰り出すゆとりをもつことにも通ずる。手足が伸びきったり、どこかりきんでしまうと、極をつくることになり、体のバランスも、心のバランスも悪くなる」
(「はじめに」より)


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