『図説 徒手体操』

著者の濱田 靖一(はまだ せいいち)先生は、2008年9月永眠されました(94歳)。
濱田先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
濱田先生は日本体育大学体操部の創設者であり、
日本の体育学研究や体操の普及に多大な貢献をされました。
濱田靖一先生のホームページ


今回ご紹介する本は、今から約40年前の本である。
初版が出されたのが1963年ということは、今から41年前のこと、東京オリンピックの前年にあたる。ビートルズがメジャーデビューする頃であり、中国ではまだ文化大革命が始まっていない。
現在では本書を入手するのは難しい。体育系の学部があるどこかの大学の図書館になら残っているかもしれない。著者は日本大学教授、日本体育大学講師とある。
たいへんしっかりした装丁のハードカバー(B5サイズ)で、箱入りである。
「図説」とうたっているとおり、写真やイラストがふんだんに使用されている。各章のとびらには、古代ギリシャやルネサンス期の彫刻、興福寺の阿修羅像などの写真が使われ、格調高い作りになっている。総ページ数は364ページ。(イラストはすべて著者自身の手になるもの。サンプルはこちら
内容は、まず「総説」として体操の性格や歴史にふれ、体操の意義について述べる。次いで、基本姿勢の説明、脚の運動、くびの運動、腕の運動と説明が続く。 (目次はこちら
身体各部の運動を説明した後に、跳躍運動、平均運動を説明し、最後を呼吸運動で締めくくるところが興味深い。

「呼吸運動は生涯休みなしに続けられている運動で、すべて呼吸のともなわない運動はない。すなわち、すべての運動は呼吸運動である。したがって特別にとりあげなくともよいのである。(中略)すべての運動が呼吸運動であるというたてまえから、われわれは動作と呼吸の関係にもっと考慮をはらわなければならない」
(「呼吸運動」-「1.呼吸の性格」より)


さらに少し後では、

「ただ考えねばならぬことは、酸素というものは蓄積しておいて今度疲労した時に使用するという事は出来ない。したがって普通の体の状態において何回深呼吸をくりかえしても、胸の伸展運動にはなるが、必要以上に血液中に酸素を注入することはできない」

と、続くのだから面白い。「この先生、なかなかやるな」と思えないだろうか。

「2.徒手体操の歴史」の「A.東洋における徒手体操の序曲」の節では、なんと華佗(かだ)と五禽戯(ごきんぎ)について言及している。古代の中国に医療体操や呼吸法が存在したことを紹介し、「中絶して現在に伝わっていない」ことを惜しんでいる。
ただ、ヨガに関しては「その神秘性と好奇心によって関心をもつ人も多いが,われわれが考える体操ではないようである」とコメントしている。なぜ、古代中国の体操の評価が高く、ヨガが体操ではないと書かれたのか、どのような分析に基づくものなのか、気になる点である。


では、体操をする必要性とは何か。
浜田先生は「四足の匍匐(ほふく)の生活から二足の直立歩行の生活にはいったこと」が大きな要因だと述べる。直立した人間は「手による文化の創造」を果たしたが、他方で「体を病魔の最もよいすみ家に提供してしまった」。

「たしかに人間ほど沢山なそして複雑な病気をもつ動物は他にないはずである」

梁と柱

上図は、四つ足のときには梁であった背骨が、直立してからは柱になったことを示している。四つ足のときには柱(手足)と梁(背骨)で支えていた構造[左]が、直立してからは柱(足と背骨)だけの構造[右]になった。
このことが人間に固有な「不都合な事」をいろいろともたらすのである。

「いわく脊柱わん曲,いわく内臓下垂,子宮後屈等々,妊娠の際よく起こる「つわり」等は立位による子宮の地位の不安定がその一つの誘因であるといわれる。痔(じ)のようなものも人間独特の病気である」

したがって、

「以上のように人間が直立して生活しているという事だけで、すでにその姿勢に対する補償として,何らかの方法が講ぜられなければならないのである」

浜田先生の考察は続くが、この点についての紹介はここまでにしておこう。
(詳細を読みたい方はこちら

とにかく充実した本なので、いちいち紹介していくと大変な分量になってしまう。
以下は、断片的になってしまうがポイントだけの紹介にとどめておく。

浜田先生は喩え話がお得意で、あちこちで喩え話を披露している。
体操のもつ効果については、引き戸に喩えているのが面白い(喩えの詳細はこちら)。

脚や腕の運動については、体幹部との関連性を指摘している。
「脚と腰が切っても切れない関係にあるように,腕の運動も肩や胸(上肢帯)を除外して語ることは出来ない」
腕の構造を説明するにあたって、まず肩甲骨と鎖骨の説明から始めている。

首の運動については、運動方向の変更にあたって頭の向きによる誘導が見られること、「正しい姿勢は正しい頭の位置づけからはじまる」ことなどを指摘している(もう少し詳細な説明はこちら)。

胴体の運動については、「脊柱を中心にしてまげることねじること倒すこと回すことによって,それぞれの筋肉を強じんにして弾力性のある筋肉に鍛えると共に」、不随意筋からなる内臓に圧迫と刺激を与えることで消化吸収機能の向上が図れることが指摘されている。姿勢の矯正についても説明がある。

腹の運動の説明においても、内臓の機能向上について触れている。

「胃の下垂,腸の脱落等はめずらしくない。下垂,脱降とまでいかなくても,ある程度の諸内臓の変動はずい分起こりやすいものである。位置の変動はすぐ機能の障害となって現われる。したがって腹部の内臓諸器官の機能の向上をはかるためには,まず正しい位置の保持をはからねばならない。すなわちそのためには,腹部諸筋を修練して強化し,抵抗力をつちかって腹部の諸臓器をあるところにあらしめねばならないのは当然である」

最後の引用は、跳躍運動の説明からである。

「この際体が空中にとび上がるという事は,体が一つの固体となっていることがかんじんで,ただ関節が伸展しただけでは跳躍にならない。すなわち跳躍するためには伸筋だけの力によるものではないのである。すなわち脚の屈筋の力は伸筋が急に収縮を開始すると同時にこれに抵抗して諸関節を固定して,体を一つの固体としてまとめるからである」

戦前、日本の体操教育はドイツ体操の影響を受けていたらしい。
しかし、今では、ドイツ体操あるいはスウェーデン体操などについて語られることはほとんどない。一部の大学の専門課程で取り上げられるくらいではないかと思われる。

出版各社は一般受けするダイエット本や武術(もどき)本の出版に血道を上げているが、明治以来の日本の体育(体操教育)の歴史に立ちかえるような企画が立てられないものだろうか。2004.12.12.


補足:
2009年3月、著者のご子息(濱田博さん)からメールを頂きました。
そこで初めて、濱田先生が亡くなられたことを知りました。
濱田博さんは、ネットで当ページをたまたま探し当てられ、お知らせくださいました。

別の感想:
この本は、私の実家の本棚の奥で発見した。小学校の教員をしていた父が購入していたのだ。
父は師範学校時代に体操クラブに入っていて、オリンピック級の選手に体操を教わっていたということも、本の発見とともに初めて知った。
1960年代後半、初任給が2万台~3万円台の頃に、父はこの本を含めて「図説 保健・体育シリーズ」の3冊(計6,100円)を購入している。
「よく買ったなぁ」と感心した。

補足:
グーツムーツ(Johann Christian Friedrich Gutsmuths, 1759~1839)とは、“ドイツ体操の父”とも呼ばれる、ドイツの体操教育の研究者の名前である。
代表的な著作として、1793年に出版された「青少年のための体操」がある。
あるホームページによれば、「古代ギリシャの体操とJ=J.ルソーの自然主義の教育思想の影響があった」という。

註: 漢字や仮名の使い方、記号(☆)など、すべて原文のままである。

『図説 徒手体操 』

著 者:
浜田 靖一
出版社:
新思潮社(最新 図説 保健・体育シリーズ)
定 価:
2,500円(1968年当時)

「体操は入学の時に着て卒業の時にぬいであと一生着ることのない学生服のようなものであってはならない。体操は肌着のように、いつでも着て居られるものがよい。見せるための借衣装や、見せる為だけの体操は自分のものにはならないからである。
(中略)体操に近づいて体操をよく知ること、体操をもっとつき合いよいものにする文化財にする努力を指導者はやらなければならないと思う」
(「序」より。「序」全体はこちら


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