『ダーウィン的方法』

21世紀の今になって見れば、野口三千三(のぐちみちぞう)の理論は決して特異なものではない。 その考え方は、かなりの点でフェルデンクライス・メソッドと一致しているし、アレクサンダー・テクニークとも共通性が見られる。 当委員会で紹介してきた他の本に書かれている内容も、鳥瞰(ちょうかん)的に見れば野口体操の考え方と矛盾するところはないと思う。

20世紀末に確立された、このような身体観・運動観を便宜上、例えば、「野口パラダイム」と呼ぶことにしよう。野口三千三が『原初生命体としての人間』(初版1972年、1996年改訂)で解き明かしたことや問題提起したことのほとんどは、実は洋の東西を問わず普遍的なことだった。「野口パラダイム」という言葉には、この著作の先駆性はもっと評価されてもいいはず、という思いを込めている。(これは、この場限りでの私の勝手な造語で、世間一般では通用しないことに注意されたい)

さて、ここに本書『ダーウィン的方法』の登場である。
本書は、プロローグ、9つの章、エピローグからなる約300ページの、極めて読み応えがある本だ。著者自身の運動研究や、著者と交流がある研究者の運動に関する実験などが多数紹介され、20世紀末から始まる運動研究の新しい潮流が概観できる。
「ダーウィン的方法」というのは、「行為を観察することで行為を取り巻く周囲(環境)を知る」という方法を意味する。

進化論で有名なダーウィンの名前が付けられたのは、ダーウィンが最晩年に発表したミミズの研究に由来する。もちろん、著者が研究しているのは、ミミズではなく人間である。人間の行為(運動)を研究するにあたって、解剖学や生理学の観点から見るのではなく、ビデオという現代のテクノロジーを使用して緻密に動きを分析し、その動きが周囲とどのように関わっているのかを明らかにしようとする。その方法が、ダーウィンがミミズの行動結果を詳細に分析した方法とオーバーラップすることから、ダーウィンへの尊敬の念も込めて名付けたのだろう。

第3章「 行為にとって「誤り」とは何か」では、コーヒー作り実験なるものが紹介され、第5章「発達すること」では、赤ん坊のリーチング(手がものに向かい、それに触れること)や歩行に関する分析が、第7章「ナヴィゲーションと遮蔽(しゃへい)」では、光の感覚がない視覚障害者が街中を歩く方法が、第9章「物を行為で描く試み」では、卵の殻を割るという行為の分析、頚椎損傷のために全身が麻痺している20代前半の男性が靴下履きを練習する様子の分析が紹介されている。

20世紀末、野口体操自体は異端視されながらも、実は野口パラダイムがさまざまな形で世間に広まっていく間に、運動研究は新たな展開を見せていたのである。

このような研究から、著者は次のような洞察[A]を得る。

「すぐれた野球の打者が、バットの軌道の決定を最後まで遅らせることのできる能力を持った者、すなわち投手の投げる球を身体のきわめて近くにくるまで見続けられる者であることはよく知られている。同じような究極での選択がどの競技にも発見できるのである。「運動」が洗練されればされるほど、それが球や地面などの環境に接触する、その先端部分は分岐の可能性を潜在させるようになる。環境とどのように触れるのかという決定を、どこまで遅らせることができるのか、ということをあらゆるスポーツで身体は探求している」

人間(あるいは動物)の動きというものは、あらかじめすべてが計算されているのではない。
かといって、すべてがフィードバック制御にゆだねられているわけでもない。
では、意図と行為はどのように結びつけられるのだろうか。

著者の洞察[B]は次のようなものである。

「球に当たるラケットやバットは固い板であり、棒であるが、それを先端に付着した身体は、おそらくそれら固い物体と一体には動いていない。身体では、動きの決定が中央から末端へとわずかにだがズレながら広がっていく波が起こっているはずだ。それならば決定が末端に及ぶまでに時間が稼げる。そして先端は最後まで環境の変化に注意を向けつづけることができる」

つまり、洞察Aで指摘された「環境とどのように触れるのかという決定」を遅らせることができる身体とは、洞察Bの「動きの決定が中央から末端へとわずかにだがズレながら広がっていく」身体なのである。
このような身体が、ショートバウンドする球をミットで捕球し、イレギュラーバウンドする球をラケットで叩き、土俵際での投げの打ち合いを制する。
このような運動の性質(すなわち、多様性、即時性、即興性)は、「周囲(=環境の変化)」によってもたらされる。

「すべての「運動」には周囲がある。周囲が「運動」に可能性を与え、あるいは可能性を奪っている」

こうした研究は身体観・運動観にパラダイムシフトを引き起こすものなのだろうか、あるいは野口パラダイムをさらに深化させるものなのだろうか、今後に注目していきたい。 2005.12.30.


補足:
ダーウィンのミミズの研究については、感想文ページの「9.『知性はどこに生まれるか』」を参照。
手と道具の関係については、稽古雑感ページの「14.ダイナミック・タッチ」 を参照。ここでは「入れ子」という言葉が出てくる。実は本文では触れなかったが、著者の運動研究において「入れ子」は欠かせない概念なのである。
アフォーダンスについて知識が欲しい方は、同じ著者による『アフォーダンス―新しい認知の理論』(岩波科学ライブラリー 12)が参考になると思う。

おまけ:
太極拳が重要視している「聴勁」や「後発先制」という考え方は、まさに周囲(=環境の変化)を受け入れ続けること、決定を遅らせることではないだろうか。

『ダーウィン的方法』

著 者:
佐々木 正人
出版社:
岩波書店
定 価:
3,360円(税込)

「伝統的運動研究は「姿勢」を「自動化した、重力に抗する伸張反射の総和」と定義してきた。しかし姿勢は重力という唯一の力への応答ではない。いま私は椅子に腰掛けてキーボードを叩いている。身体は両足が着いている床だけではなく、椅子の背、椅子の座面、手首が触れている机の端、手掌が置かれているキーボードの端など、身体各部に対し反作用力を与える多数の力の場に同時に置かれている。このような多方向から全身に及ぶ力は常にある。もちろん移動する場合には加速度もそれに加わる。結局、姿勢は多数の力が競合する場で刻々と組織化されることになる」
(第4章「ソウルの心理学者」より)
注:この「ソウル」は「魂」のほうである。


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