『マインド・タイム』

手や足に何かの刺激を受けてから、それを意識するまで最大0.5秒の時間差がある。
そのようなことが信じられるだろうか。

しかも、意識はその0.5秒の遅れを遡り、実際に刺激を受けた瞬間まで時間順序を補正している、などということが信じられるだろうか。

それが本当だとしたら、イチローはどうやってピッチャーが投げた球を打っているのか。魔裟斗はなぜブアカーオのパンチやキックをかわせるのか。

「私たちの実験的な証拠では、感覚信号のアウェアネスが生じるためには、感覚皮質の活性化が最大約500ミリ秒進行しなければならないことを示しています。感覚皮質への閾値刺激の持続時間が、必要条件となる接続時間よりも減少すると - たとえば400ミリ秒間、またはたとえ450ミリ秒間であっても - 感覚的な気づき(アウェアネス)は得られません」
(『マインド・タイム』第3章より)


この0.5秒の時間差は、実験で観測できる事実である。

あなたが車を運転し、時速30マイル(48.27km/h)で走っていたとする。突然、道路脇から転がったボールを追いかけて幼児が飛び出してくる。あなたはとっさにブレーキを踏んで車を急停止させる。

このような時、『マインド・タイム』の説明によれば、次のようなことが起こっている。
幼児が現れてから約150ミリ秒であなたはブレーキを踏んでいる。それから約350ミリ秒(幼児が現れてから500ミリ秒)遅れて、あなたの意識(アウェアネス)に幼児が浮上するが、この際、遅延している感覚(の経験)が時間的に前に戻され、あなたは幼児を見て、ブレーキを踏んだと認識する。ブレーキを踏むという行為は無意識に行われている。

最大500ミリ秒の遅れというのは、刺激が意識(アウェアネス)に昇る(気づく)までに生じる遅れであって、刺激に対する反応自体にはそのような遅れはない。
刺激を感じ、脳で情報処理をして、アクションを起こすまでは人間にとって可能な限り迅速に行われる。だから、イチローはヒットを打ち、魔裟斗はブアカーオの攻撃をかいくぐって反撃する。

一方、本書の著者とは別の心理学者は、人間の反応時間を調査していた。その実験では、被験者は前もって決められた信号が現れたら、できる限り早くボタンを押すように指示された。そのようにして測定された反応時間は、信号の種類によって200~300ミリ秒の範囲だった。
ついで被験者は、この反応時間よりも100ミリ秒程度遅らせて反応するように指示された。だが、この心理学者の指示通りに反応を遅らせることができた被験者はいなかった。被験者が意図的に遅らせた場合の反応時間は600~800ミリ秒だった。
心理学者は、この結果について、先の500ミリ秒の遅延が生じる現象で説明がつくと考えた。つまり、意図的に反応を遅らせようとした場合、被験者はまず信号を意識しなければならない。そのため、信号が意識に現れるまでの500ミリ秒の遅延が反応時間に含まれてしまうのだ。

いかがだろうか。そろそろ冒頭の一行で示された意識の遅延について納得していただけただろうか。
私自身は、この知見に基づいていろいろなことを見直したいと考えているところだ。

真っ先に思い出したのは、野口三千三(のぐち みちぞう)の「意識が主体ではない」という考え方である。

「意識的自己というのは、生きものにとってむしろ特殊な存在状態であって、非意識的自己とは、その特殊な意識的自己という状態を除いたきわめて広いすべてを含んだもので、(中略)自分という存在状態にとって、いつでもどこでも偏満して在るというべきものだと考えている。意識はこの非意識的自己が必要とするとき、いつでもみずからの力により、みずからの中に創り出し、必要がなくなった時には再び非意識的自己の総体の中に吸収されるもので、意識は非意識的自己のひとつの存在様式と考えるべきだと思う」
(『原初生命体としての人間』第2章より)


野口三千三の考えでは、意識と非意識は対立するものではない。意識とか無意識とかいうものは、非意識的自己という主体が必要に応じてその在り方を変容させているものだからだ。
この考え方は、『マインド・タイム』で提示された実験の結果とよく合っていると思う。

野口三千三は意識が創り出されるタイミングとして、「行動が阻止されて意識・意志と呼ばれるような働きを必要とするときだけ」意識(意志)が現れ、利用されると記している(前掲書)。
これは、ベンジャミン・リベットが「意識を伴った意志は、運動行為が現れないようにプロセスをブロック、または「拒否」することもできる」(『マインド・タイム』第4章より)と主張していることとよく符合している。

野口三千三だけではない。F・M・アレクサンダーも同様の認識をもっていた。
アレクサンダー・テクニークの代表的な用語「プライマリー・コントロール(初原的調整作用)」は、人間が本来有する身体調整能力を意味する。アレクサンダー・テクニークのレッスンのひとつの目標は、この基本的な協調作用を取り戻すことなのだ。
そのためのキーワード「抑制(インヒビション)」とは、単に何かを「しない」ようにするという禁止の意味ではなく、我々がふだん習慣的(あるいは反射的)に行っていることを見直し、別の可能性を発見しようと試みることだ。これは野口三千三が言う、意識(または意志)が必要とされるときの一例だと思う。

初めてのスポーツに取り組むとき、未経験の楽器の演奏方法を学ぶときなど、始めのうちは身体が思うようには動いてくれない。そのうちスムーズに動けるようにはなるが、教わったとおりのやり方が身についたとは限らない。いったん身についた動きを修正することは、初めて学ぶときと同様に(あるいはそれ以上に)難しい。

実は、あなたもうすうす感じていたのではないだろうか。
人間の意識の働きが氷山の一角に過ぎないと。水面上に見えている部分より、水面下に沈んでいる部分のほうがはるかに大きいのだと。

野口三千三が考える意識については、稽古雑感ページの「15.「意」とは何か」 も参照のこと。
2007.10.20.


補足:率直に言って読みにくい本です。内容が内容だけに頑張って読んでみました。

『マインド・タイム』

著 者:
ベンジャミン・リベット
訳 者:
下條 信輔
出版社:
岩波書店
定 価:
2,700円+税

「テーブルの上を指で叩くと、この事象が「リアルタイム」に起こっているものとして経験されます。すなわち、指がテーブルに触れるのと同時に、あなたは主観的に接触を感じます。しかし、実験に基づく証拠が、私たちの直感や感情に相反する驚くべき発見を強力に裏づけています。すなわち、事象へのアウェアネスを引き出すには、脳には適切な活性化が最大で約0.5秒間という比較的長い時間続くことが必要なのです!」
(「第二章 意識を伴う感覚的なアウェアネスに生じる遅延」より)


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