28.背中を解く

このところはまっている体操(ストレッチング)があります。
仰向けに横たわった状態から脚を頭のほうに上げ、背中を丸めて足先を頭の上方の床につけるようにします。脚を曲げると膝小僧は顔の前あたりにいます。床に接しているのは、後頭部と首の裏側だけになります。背中は倒立し、肩はほとんど床から離れます。

野口体操では「真の動き」と呼ばれている体操です。
膝を伸ばし、足の指先を床につけるようにすると、ヨガの「鋤(すき)のポーズ」となります。
『野口体操入門』の「3 からだをうごかしてみよう」に、羽鳥操さんの写真が掲載されています(P.121)。背中がきれいな曲線を描いて、頭頂部が大腿部の膝に近い部分と接しています。

始めたばかりの頃は呼吸が苦しく感じられましたが、だんだんと楽になってきました。
すると、骨盤の裏側あたりに今まで気がつかなかったような動きが感じられるようになり、最近はこの動きが楽しめるようになってきました。
(腕の位置は自由にしてよいと思います。腕の位置に応じてバランスが変化するのを感じるのも面白いです)
また、首がたいへんよく伸ばされます。反面、首に無理な負荷をかけないように注意することが必要です。

背中が少々硬いからと言って日常生活で困ることはありません。
しかし、ぎっくり腰を体験してから背中の硬さに、あるいは背中という存在に気がつく方がいらっしゃるのも事実です。

2年前の12月に『図説 徒手体操』という古い本を紹介しました(読書遍歴ページの「20.『図説 徒手体操』」)。その中で体操のひとつの意義として、次のような説明をしています。

「人が戸や障子をあけて出入する場合,自分の体が楽に通れるだけあけて出入するのが普通であるが,元来戸や障子はその幅だけは開けることが出来るように作られているので,時々戸を全開し,本来開くことが出来るように作られているところまで開いて掃除をする必要がある。それでないと普段使わないところがさびついたり,ほこりがたまったりして,だんだん戸の開く範囲がせばめられてガタピシした,たてつけの悪い戸になってくる。(中略)スポーツでも,作業でも,ある目的のために体を動かすのでその目的が達せられる最小限度に動かせばよいので,それ以上に動かすことは力の不経済であり要領が悪い動作といわなければならない。ところがこれだけでは人間が本来具有する可動範囲まで体が動かない(後略)」

「人間が本来具有する可動範囲まで」身体を動かすということが大切なのです。
時々はふだんより大きな範囲で身体を動かすことで、いつもの動きに余裕がでてきます。

ところで、背中とお腹に陰陽を当てはめると、どちらが陽になるかご存知でしょうか。四つんばいになったときに日が当たる背中が陽、かげになるお腹が陰となります。
顔やお腹を前に向けて二足歩行している人間の感覚とは合わないような気がしますが、何か深い理由があるようにも思えます。

それにしても「背中」とは漠然とした言葉です。お腹の側は、下腹部とか、みぞおちとか胸とか、いくつかの単語である程度は領域を区切ることができますが、背中側はただ「背中」です。左胸、右胸とは言いますが、左背、右背とはまず言いません。脇腹はよく使う言葉ですが、脇背はほとんど使いません。背中側にも、もっと言葉を与えたほうがよいのではないでしょうか。 (インターネットで検索すると、医学や解剖学、衣類の採寸などでは使わないこともないようですが、、、。野口三千三は、背中側の、へその裏あたりの部位を「そへ」と名付けました)

私がストレッチングを好む理由は、まず単純に気持ちがいいということです。
次に、今まで気づかなかったことを発見することがある、ということです。それは、今まで気がつかなかった筋肉の存在であったり、今まで意識できなかった緊張であったり、今まで知らなかった筋肉の使われ方であったりします。
このような発見が、自分の動きの可能性を増やしてくれると思えるのです。

さて、いつか背中の「謎」が解けたそのときには、どんな素晴らしいことが待っているのでしょうか。 2006.12.16.

蛇足:
呆れた話ですが、最近になってようやく背中の硬さを自覚しました。
私は以前から開脚系のストレッチは得意ですが、前屈系のストレッチは苦手です。
真の動き(または鋤のポーズ)については、今はやっと膝と額が接触できるくらいですが、その程度でもいろいろな背中の感覚が味わえますし、終わったときの気持ちよさも十分に味わえますよ。

おまけ:
「太極拳」とかけて、「遅くまで居酒屋で飲んでいる時」ととく。
そのこころは、しゅうでん(終電・収臀)が気になります。

『野口体操入門-からだからのメッセージ』

著 者:
羽鳥 操
出版社:
岩波書店(岩波アクティブ新書)
定 価:
777円(税込)

「繰り返すが、「動きはバランスが崩れないと始まらない。しかし、バランスが取れなければ、動きは成り立たない」のである。バランスを崩しながらバランスが取れる状態を、動きにつれて感じ取る力があることを運動神経がいいという。力があるということは、動きの質を変化させる「変化力」と言い換えることができる。その時・その場でちょうどよい中身の変化を生み出せる能力なのである」
(「2 からだをほぐす ―― 野口体操とは」より)


TOP