『デクステリティ
巧みさとその発達』
本書『デクステリティ』が世に出るまでには、政治と民族の問題にかかわるドラマがあった。
「本書が書かれたのは、約半世紀前。ソビエト社会主義共和国連邦をスターリンが統治していた時代だ」
(訳者あとがき)
ベルンシュタインが一般向けの科学書としての本書を執筆していたころ、ベルンシュタインは気鋭の生理学者だった。1947年には『動作の構築について』という本を出版し、「動作障害の治療に携わる外科医たち」から高い評価を得たことで、スターリン賞という国家的な賞を受けた。
ところが、ベルンシュタインがパブロフの条件反射説を批判したこと、ソ連国内に反ユダヤ主義の風潮広がっていたことが重なり、ユダヤ人であったベルンシュタインは「パブロフを貶める非国民的研究者として共産党の機関誌「プラウダ」誌上で公然と批判される」ようになってしまう。
ベルンシュタインは、職を失い、出版は取りやめになってしまった。
歳月が流れ、忘れられた原稿がとうとう発見されたとき、ベルンシュタインが亡くなってから20年が過ぎていた。
「引っ越し前の本棚をかつての同僚であったフェイゲンベルグが整理していたときのこと、本棚と天井との間にある隙間から、実験用の感光紙(注1)の表裏にびっしりと書かれた手書きの原稿が見つかった」
(訳者あとがき)
ゴルバチョフ政権下、ベルンシュタインの業績は再評価され、1991年には本書(原書)が出版され、1996年には英訳版が出版された。この日本語版は英語版がベースになっている。
『デクステリティ』の執筆には2つの目標があった。
ひとつは、「巧みさ」という能力を定義し、分析すること。もうひとつは、動作の協調や運動スキル、練習などの性質について、当時の最新情報を一般読者に提供すること、だった。
ベルンシュタインは、多数の図や写真を用意し、おとぎ話や神話、第二次世界大戦中のエピソードなどをふんだんに取り入れている。
自分の身体がうまく「使えない」と思っている人のほとんどが、自分の身体が思うように「動いてくれない」という視点に立っていると思う。
しかし、である。人間はお腹を天井に向けた(仰向け)状態で四つん這いで動ける動物なのである。猫や犬にそんなマネができるだろうか。人間の腕や脚はじつによく動く(関節の可動範囲が大きい)ようにできている。(というのは、実は、野口三千三が指摘している(注2)ことなのだが)
「人間の末梢部にある骨格-関節-筋は数百にものぼる数多くの冗長な自由度をもっている。運動協応のための心理生理学的なしくみが全体として成し遂げているのは、この冗長な自由度を克服して末梢器の制御を組織化することに他ならない」(注3)
我々の運動に関する悩みは「うまく動かせない」ことにあるのではなく、「(動きすぎる身体を)うまく制御できない」ことにあるのではないだろうか。(注4)
運動の協応には、感覚器官からの情報が不可欠である。目や耳(外受容感覚)だけでなく、筋肉や腱(自己受容感覚)などからの情報によって、「動作を連続的に調整する」プロセスこそが運動なのである。
では、「巧みさ」とは何か。
「巧みさとは、あらゆる状況ならびにあらゆる条件下において解決策となる運動を見つけることである」
「巧みさ」とは動作自体に含まれるものではなく、動作を取り巻く環境(外的世界)との関連性から生じる。同じ走る動作でも、平らな地面を走るのと、石ころが転がっている道を走るのと、平均台のような細い台の上を走るのとでは、「巧みさ」が異なる。
言い方を変えれば、「巧みさが必要になるかどうかは動作の種類によって決まるのではなく、動作を取り囲む条件によって決まる」のである。
「もし誰かが運動を撮影してすべての環境を消し、モデルの身体だけ残したならば、残った画像をどんなに分析してみても動作が巧みかどうかは分からない」
本書(日本語版)の巻末に、『[解題]運動はどのようにして環境に出会うのか』という文章が収録されている。このサイトではおなじみの佐々木正人教授が書いた小論で、ベルンシュタインの考え方が簡潔に(ときに文学的に)まとめられている。
実は、私はこの小論のほうを先に読んでいた。昨年末に紹介した、『ダーウィン的方法』の8章に、「ベルンシュタインの三つの発見」として収録されていたからだ。このとき、ベルンシュタインは面白そうだと直感した。
本書には、それほど難しい言葉は出てこない。むしろ、同じ説明の繰り返しをくどく感じるかもしれない。また、大型書店でもなかなか置いてない上に、値段が高い、ページ数が多いという三重苦を抱えた本である。
ただ、それらのマイナス面を認めながらも、やはり「ぜひとも」という気持ちをこめてお勧めしたい。(各章の内容紹介はこちら)
佐々木正人教授の小論は、本書を理解するのに大いに助けになるはずである。
2006.8.5.
注1:
「ベルンシュタインが執筆していた時代、紙は貴重な資源であったため、原稿には、実験に用いた紙を再利用していたのだ」
注2:
野口三千三の『原初生命体としての人間』(岩波現代文庫)の第1章末尾に「人間は猫よりも柔らかい」という一節がある。ぜひご一読いただきたい。
注3:
強調表記部分は原文(日本語版)のまま。
注4:
例によって野口三千三の言葉を借りれば、「ある一瞬に働くべき筋肉の数が少なすぎることによる誤りはきわめて稀で、誤りの多くは、ある一瞬に働いてしまう筋肉の数が多過ぎることによって起こる」ということである。
『デクステリティ 巧みさとその発達』
- 著 者:
- ニコライ・A・ベルンシュタイン
- 訳 者:
- 工藤 和俊
- 監訳者:
- 佐々木 正人
- 出版社:
- 金子書房
- 定 価:
- 4,410円(税込)
「最も実用的で正しいトレーニングは、最小限の努力でさまざまな種類のよく計画された感覚を経験し、これらすべての感覚を、意味を理解しつつ吸収し記憶する上で最適な条件を創り出すように組織化されるだろう」
(第Ⅵ章「練習と運動スキル」より)