『バベットの晩餐会』
題名に見覚えのある方は、映画のタイトルとして記憶に残っていたのではないだろうか。本作を映画化した『バベットの晩餐会』は、1987年度アカデミー賞外国語映画賞を受賞している。文庫本の表紙にはこの映画の一場面が使用されている。
あるいは、本屋さんで見たような気がする方もいるかもしれない。本書はちくま文庫の中では人気があるのか、大きな書店では、ちくま文庫の棚の前に新刊と並んで平積みされていることがある。
ちくま文庫の『バベットの晩餐会』には、「バベットの晩餐会」と「エーレンガート」という2つの作品が収録されており、「バベットの晩餐会」は90ページ弱の短編小説である。
ノルウェーのとある田舎町、一軒の黄色い家に中年の姉妹とフランス人の家政婦が暮らしている。姉妹の亡き父親は、その地区の監督牧師で、国中にその名を知られた「ある敬虔で強力な宗派」の創始者だった。その宗派の信者たちは、この世の快楽を悪とみなす厳格な教えに従っていた。
監督牧師のふたりの娘には、バベットという名のフランス人で、家事一切を引き受けている家政婦がいた。
物語は、ちっぽけな町のけっして豊かとはいえない家に、なぜフランス人の家政婦がいるのかという説明から始まる。
かなり圧縮して書いてしまうと、およそ三十年前、監督牧師のふたりの美しい娘に思いを寄せたふたりの男がいた。彼らの実らぬ恋の十数年の後、パリで内戦が起き、「人権擁護のため蜂起した正義の証人たち」が鎮圧され、壊滅させられた。この内戦で夫と息子を失い、自身も亡命を余儀なくされた女性が、彼らのひとりにノルウェーに知り合いはいないかとたずねた。彼は監督牧師のふたりの娘を思い出し、その女性、マダム・バベット・エルサンの身柄を託すことにしたのだった。バベットが持参した紹介状の最後には、次のような言葉が書かれていた。
バベットには、料理ができます。
こうして姉妹の家に雇われることになったバベットは、姉妹の料理の作り方をすぐに覚え、貧しい人々に施すスープと食べ物の用意も問題なくこなした。それどころか、バベットが作るスープと食べ物には不思議な活力が感じられ、姉妹の小さな金庫から出て行く金は少なくなっていたのだ。
バベットはブロークンなノルウェー語で、町の商人たちと渡り合い、引けをとることはなかった。姉妹はわずらわしい家事や面倒な仕事をバベットに任せ、古くからの信者たちの相談事にのったり、語り合ったりする時間がもてるようになる。
そうして、また十数年の月日が流れ、、、
十二月十五日は監督牧師の生誕百年の記念日だった。
しかし、姉妹には心配事があった。
ちょうどこの一年間のうちに、監督牧師の信者たちのあいだに、醜い不和や不寛容が目に見えてきていたのだ。
信者たちのあいだに不和を抱えたままで、祝いの日を迎えることに姉妹は不安を感じていた。
そんなある日、バベットのもとに手紙が届いた。バベットが富籤(とみくじ)で1万フランを獲得したのだという。
姉妹の不安な気持ちに、バベットがいよいよ自分たちのもとを去るのではないかという新たな心配が加わった。だが、バベットは姉妹の思ってもみなかったことを願い出る。
監督牧師の百年祭には祝宴の料理の用意をすべて自分の手に任せてほしい、それが彼女の願いだった。
しかも、自分が得た賞金で食材や飲み物を買い、本物のフランス料理のディナーを用意するというのだ。
(ここらあたりで、物語の半ば過ぎというところ。ここからはもう、一気に読んでしまうことだろう)
ノルウェーの片田舎で質素な暮らしをしている姉妹は、フランス料理の知識などまるでなく、ワインの名品に名前がつけられていることすら知らない。台所に運び込まれた大きな亀を見て、自分たちはどんな料理を食べさせられることになるのだろうと恐れを抱く姉妹。
姉妹を子供の頃から知っている信者たちは、姉妹のために集会を開く。
そこで信者たちは、こともあろうに、祝いの日には「食べ物や飲み物と名のつくもののことはいっさい口にしないで黙っていよう」という誓いを交わすのだった。
「われらの師の記念日には、舌を使うのは感謝とお祈りのことばをいうときだけにして、あとはなにもいわずに通そうではないか。気高い精神的なことを話すほかは、舌を使わないようにするのだ。そして味覚のほうは、働いていないように振る舞うのだ」
百年祭の祝宴のために、本物の食材とワインを用意するバベット。
尊敬する監督牧師のふたりの娘のために、料理を味わわないようにしようと誓い合う信者たち。
信者のあいだの不和や、祝宴の料理や、バベットの帰国への不安に懸命に耐えている敬虔な姉妹。
物語はどのような結末を迎えるのだろうか。
さて、興味を持たれた方は、他のサイトで粗筋を見ようなどとはしないで、直ちに本屋さんに向かってほしい。
2008.9.30.
補足:
著者は、デンマーク生まれの女性(1885~1962)で、作品は英語とデンマーク語で書き、英語版はイサク・ディーネセンという男性名で発表し、デンマーク語版はカレン・ブリクセンという女性名で発表している。
蛇足:
アメリカ映画『愛と哀しみの果て』(1985年公開、監督シドニー・ポラック、主演メリル・ストリープ、 ロバート・レッドフォード)の原作「アフリカの日々」もこの著者の作品。
なお、晶文社の『アフリカの日々』では著者名をアイザック・ディネーセンと表記している。
『バベットの晩餐会』
- 著 者:
- イサク・ディーネセン
- 訳 者:
- 桝田 啓介
- 出版社:
- 筑摩書房(ちくま文庫)
- 定 価:
- 680円+税
「わたくしはあなたがたに人間ひとりの命をお渡しいたします。ノルウェーの地図を思い出すことはできないので、どのようにして彼女がクリスチャニアからベアレヴォーまでたどりつけるか、わたくしには分かりません。しかし、彼女は生粋のフランス女です、不幸な境遇に耐えて、その臨機応変の才、毅然とした態度、冷静沈着な真の克己心を保ってきたことが、やがてお分かりになるでありましょう」
(「Ⅳ パリからの手紙」より)