18.今そこにある骨
(タイトルはトム・クランシーのマネですが、中身はマジメです、、、)
ボーリングの球をトランポリンの上に落とします。水を詰めたゴム風船をトランポリンの上に落とします。どちらのほうが上に跳ねるでしょうか。
読書遍歴ページの「『図説 徒手体操』」の最後の引用に、跳躍動作を採りあげました。そこには「諸関節を固定して,体を一つの固体としてまとめる」とありました。
跳躍動作には二つの局面があります。跳躍と着地です。跳躍すれば、必ず着地します。
跳躍するときには「固体」となり、着地するときには「軟体」となります。
跳躍するときに「軟体」では地面からの力が身体(骨格)の変形のために使われてしまい、着地するときに「固体」では地面からの衝撃で身体を痛めてしまいます。
地面を蹴るときには「固体」となることで地面からの反作用力を飛び上がる力にします。このとき「固体」になっていないと、地面からの力は変形する骨格に吸収されてしまいます。骨格の変形が大きいほど、飛び上がる力が少なくなってしまうはずです。
着地の場合、ほとんどの運動種目には姿勢を維持するという必要がありますから、身体全体が「軟体」になるわけではありません。ショックアブソーバーの役割を果たすのは主に下半身です。
野口体操というと一般には「コンニャク体操」というイメージが強いと思いますが、野口三千三は『原初生命体としての人間』の第6章「いろいろな問題」の中で次のようにも述べているのです。
「生身のからだを凝固させることもまた大切な技術である」
「凝固」です。「かためる」より強い意味をもつ言葉を使っています。このような言葉を知ると、野口体操の理論に矛盾があるように思われるでしょうか。しかし、これには次のような意味があるのです。
「リラックスを強調することや、力みすぎることを否定することは、そのとき要求される最適な緊張のためのものなのである。呼吸や、目ばたきなど、すべての動きを停止させることや、ある部分をある程度にかためることを要求される動きはきわめて多い」
野口三千三は意図的に「リラックスを強調」し、「力みすぎることを否定」しているということがわかります。動きの本質の中に「かためる」要素があることを前提とした上での「リラックス」なのです。
ピアノを弾くとき、鍵盤を叩く指はリラックスしているでしょうか。バイオリンの弦を押さえる指はリラックスしているでしょうか。
キャンバスに絵の具を塗るときに、手首はリラックスしているでしょうか。
ビールが満杯の大ジョッキを傾けるとき、手首はかためていないでしょうか。
特に道具(楽器や武器などを含めて)を扱う際には、つまり道具に力を伝える、あるいは道具を通じて対象物に力を伝えるには、「かためる」要素が重要なのではないでしょうか。
力を伝えるのは「骨」です。人体を構成するものの中で固体である「骨」が力を最も効率よく伝える媒体(メディア)と言えます。
「筋肉は、主として骨格の配列の形を変化させ、その変化のさせ方によって、エネルギーの伝わり方・流れ方の性質を決定する」
これは「13.筋肉を使う」に引用した言葉ですが、骨格が力(エネルギー)を伝えるということを前提にしていたのだと気がつきました。
跳躍動作も「かためることを要求される」動きの代表例と言えるでしょう。
2005.2.6.
蛇足:
あるとき、太極拳の推手を教わっているときに、先生が「関節をロックする」と言いました。
その言葉がずっと頭の片隅にあり、そして、『図説 徒手体操』の跳躍動作の説明を読んだ瞬間から、頭の中におぼろげなイメージが渦巻き始めました。それがきっかけで上のようなものを書いてみました。
おまけ:
跳躍動作には別の要素もありそうだなぁと考えています。
ゴムかプラスチックでできたよく弾むボールがありますよね。あれはガチガチの固体ではありません。弾力性があります。
あのボールが地面(ないしは床)に叩きつけられたときには、どのように変形しながら、跳ね上がっていくのでしょうか。
高く飛び上がるためのコツがありそうに思いませんか。

『原初生命体としての人間』
- 著 者:
- 野口 三千三
- 出版社:
- 岩波書店(岩波現代文庫)
- 定 価:
- 1,050円(税込)
「タイミングについて
(2) 動きは時間の中の出来事である。刻々に空間的相対関係が移り変わるのが動きの本質である。同じ量の力が同じ場所に同じ方向に働くとしても、働きかけるときの相違によって、あらわれる効果・仕事は全然別のものとなってしまうことが多い。(野球のバッティング・ボクシングのパンチ・器械体操・長縄跳)
(5) 身体の中でお互いに働きあって生まれた力が、次々と流れて集まり、その流れが働きかけるべき末端の部分に来たときと、働きかけるべき時間とが、ピッタリ一致した場合にだけ最大の仕事が可能になる。この場合の力は、そのために働いた筋肉の収縮力の算術的総和をはるかに越えることができる。
(1)(3)(4)(6)は省略」
(「第6章 いろいろな問題」より)