24.超魔術「姿勢補償」
人間の身体には、およそ200個の骨とおよそ630個の筋肉があります。(というのは、他のページ「14.ダイナミック・タッチ」で書いたことなのですが)
私たちは、その全てを把握しているわけではありませんし、また、その必要もありません。
私たちが自分の動きとして認識している部分が、実際の身体の動きの中ではじつに狭い範囲でしかないことを示す実験があります。
「たとえば腕を水平に差し上げ、音がしたら指先でボタンを押すというような簡単な課題を、立っている者に与え、全身の広い部位の筋活動をモニターする。すると、信号が鳴って、肩-腕-手の筋がボタンを押す活動をしはじめる前に、ボタン押しに使用されるそれら以外の身体の広範な部分、それも腕からはかなり遠い両脚の大腿などの筋が活動していることが示される。活動しているのは、腕の活動によって起こる姿勢の不安定性を補償する部位である。この予期的な筋活動を、行っている者が気づくことはまずない」
不思議なことです。私が(あなたが)「音が聞こえた」と思ったときにはすでに、ボタンを押す動きをしてもバランスがくずれないような調整が行われているのですから。
しかも、この予期的な調整、「姿勢補償(postual compensation)」を観察していると、課題(上記のボタン押し)をいろいろと変化させれば、そのつど先行する調整の動きも「縦横に」変化するというのです。
「姿勢補償を行う複数の筋活動を検討してみると、まったく同一の課題でも、姿勢調整に使われる複数の筋群(課題そのものに使用される筋を含む)の活動の時間系列には異なりがあり、それらが同一のプログラムに従っているとは言い難いことがわかった。(中略)力がランダムな時間間隔で突然与えられるような条件でも、肩-腕-手の運動に先立つ大腿の姿勢補償は現れた。つまり通常の意味で自覚的に行われる「予測」を越えるような働きが、運動補償には見られる」
米国の生態心理学者エドワード・リードは、このような考察から「姿勢補償・調整こそ、動物運動に固有の本性なのではないか」と考えました。私たちがうすうす勘づいているように、姿勢と運動は同義のことなのです。
「姿勢の変化と姿勢の持続が同時にあるもの、それが運動なのである」
また、重力だけではなく、視覚も姿勢(運動)に影響を与えます。
太極拳の稽古では、下を見ないように、遠くを見るようにと注意しますが、おそらく他の武術や踊りでも同じようなことがあるでしょう。
「立ちながら特定の物を見ることを要求されるような条件では、頭部の揺れ幅がより少なくなることが知られている。「微動だにしない」射撃名手の身体は、じつは全関節が動員された「熟練した動揺」である。それには標的物の光学的変形(注)との同調が不可欠である」
身体の特定の部位を動かないようにすることは、それ以外のすべての部位を動員することになるのです。一見動いている部位が少ないような動き(太極拳、古武術、その他)が意外に難しく、習得が困難なのは、こうしたことに原因があるのでしょう。
私たちは、WindowsXPに「重要な更新」を適用するようには、「姿勢補償」やその他の反射機構の働きを修正することはできません。私たちに確実にできることは、こうした意識に上(のぼ)らない機能が存分に働けるような状況を用意すること、つまりは、筋力や柔軟性の向上を図り、不要な緊張を解いていくことではないでしょうか。
2006.5.1.
注:
「標的物の光学的変形」とは、単に「見え方の変化」程度の意味だと思われます。あまり難しく考えないでください。
補足:
姿勢の維持については、稽古雑感ページの「10.バランスをとる」も読んでみてください。
蛇足:
2~3年前、中国武術の表演大会を観戦しているときに気がつきました。
子供たちの動きが、なぜ子供っぽく見えるのか、それは頭部の揺れのせいではないか、と。 手や足を一生懸命動かしている子供たちは、頭も揺れ動いているのです。
これに気がつくと、伝統拳術を表演していたある女性の頭部がぐらぐらと動いていたことを思い出しました。なぜ彼女の表演が素人っぽく見えたのか、理由のひとつがわかりました。
実際のところは、性別や年齢に関わりなく、頭部の不必要な揺れが多い動きが子供っぽい動き(初心者らしい動き)と思わせるのです。
子供の表演でも、頭部の揺れが見られなければ、大人びた(熟練しているかのような)動きに見えるものです。
(ただ、硬くて動かない、というのはまた別の問題なのですが、、、)
『ダーウィン的方法』
- 著 者:
- 佐々木 正人
- 出版社:
- 岩波書店
- 定 価:
- 3,360円(税込)
「身体とは、バネを多重に積みつなげた塔(頂上には重たい頭がある)のようなものである。だから常に揺れている。身体が硬い床の上に立つとき、そこを移動するとき、全身は大小の動揺を起こす。」
(第8章「ベルンシュタインの三つの発見」より)