『身体をめぐるレッスン1』

この本を書店で見かけたときは、タイトルに惹かれて目次を見た。そして、佐々木正人の文章が収められているのを発見。他の著者は知らない人ばかりで、その日は購入を控えた。が、買おうか否か長い間悩んだあげく、結局、買ってしまった。
「重力のような」は、近年の佐々木正人の論文(エッセイ風のものも含む)のいくつかの重要ポイントがコンパクトにまとめられた、素晴らしい論文である。

一 子宮

「臍帯で母親と繋がる胎児は、羊水と子宮に二重に包まれて成長する」

ここでは、國吉康夫という工学者の研究成果、コンピュータ上でシミュレーションされた「胎児ロボット」が紹介されている。
この胎児ロボットは「頭部と体幹と四肢のある身体、全身にリズミカルな運動をもたらす脊髄回路、全身の伸張反射、そして反復する特定の運動だけを選択的に増強するための学習回路」を有する。そして、「実際の子宮の弾力と、羊水の流体性を力学的にシミュレートした「人工子宮環境」に入れられ」る。
やがて、人工の胎児は出産の時期を迎える。

「すると、ロボットは仰向けからうつ伏せへの「寝返り」をはじめ、さらに「はいはい」を自然に開始したのである」

胎児ロボットには、寝返りやはいはいを行うプログラムは用意されていなかった。ところが、「子宮を蹴る動きが、地上では移動運動に姿を変えた」のである。

「ヒトの移動は子宮の包囲の中で誕生する」(←出た!佐々木正人の決めゼリフ)

二 重力

「(甲殻類・昆虫類などの)外側に固い殻のあるその身体は、ただ地面に置かれただけで安定している。したがってある種の無脊椎動物の移動には完全な静止期が含まれている」

しかし、脊椎動物のヒトでは「事情はまったく異なる」。

「ヒトの身体運動は、骨-関節がもつ構造上の不安定、柔らかい筋の性質に由来する不安定、二つ以上の筋の拮抗する群の使用に由来する不安定、これらのすべてを基礎にしている。それらの不安定を掛け合わせた「高次の不安定」がヒトの身体である」

ヒトの歩行運動とは、「重力がもたらしている転倒から派生した動き」であり、そこには静止の相がない。

三 圧の流動

「ヒトの全身の骨は100以上の可動な関節で結合しており、枝状の配列をなしている。それらがつくる方向と力のベクトル集合をギブソンは「骨空間」とよんだ」
(ウィリアム・ギブソン=アメリカの生態心理学者)


ヒトは、石や棒や道具などさまざまな形態の物を掴んで動かす。ヒトは物を振り回すことで、その長さや形を知ることができる。この能力は「ダイナミック・タッチ」と呼ばれる。
物それぞれが有する「慣性テンソル」(=回転するときの抵抗値)をヒトは利用している。

「ダイナミック・タッチによって知られることになるのは、手に持った物だけではない。骨空間が揺れるとき、身体は各所で慣性楕円体となり、全身は一つの慣性情報となる」

ヒトは自分の身体の各所の「慣性テンソル」を感知し、それらが結合したものとして自らの全身を認知する。

四 地上の襞と光の流動

ここでは、主に視覚について、ヒトの周囲にある「表面のレイアウト」について語られる。

「周囲のレイアウトの意味は時々刻々とヒトによって発見されている。そのほんの一部は、文字や映画や絵や写真に表現され、本になったり美術館の壁に掛かっている。ヒトとは名前のない表面のレイアウトに意味を与える者である」

ある表面は別の表面を隠し、ヒトの移動に伴って新たな表面が現れる。空や月や、超高層ビルの上部にある表面はずっと見え続けているが、ときおり、他のビルや街路樹に隠される。
周囲の表面のそれぞれにはキメがある。ヒトが接近するとキメは拡大し、後退するとキメは縮小する。ヒトが移動すれば、周囲の表面のキメはヒトとの位置関係に応じて変化する。走行中の電車の窓から見る光景は、近景から遠景まで無数のキメの流れである。
ヒト(や動物)は、この周囲の表面のキメの変化(光の流動)を感知しながら、動きを制御する。

「眼をあけてさえいれば、片足で立ち続けていられるのも、高速道路での移動を制御できるのも、体操競技のアスリートが鉄棒から離れ宙返りをした後に正確に着地できるのも、ヒトが光のキメの拡大と縮小と循環できるように、うまく脚を揺らすとか、ブレーキをタイミングよく踏むなどの身体の技を獲得しているからである」

五 欲望

この短い章は省略。

本書全体の目次は以下の通り。

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序論 身体という幻(ファンタスム)

Ⅰ <幻>の表面

 共鳴体 -洞窟状意識と建築- 港 千尋

 多重人格のプロクセミックス 斎藤 環

 往還するジェンダーと身体 -トランスジェンダーを生きる- 三橋順子

 隠喩と素養 -メディアと人間の関わり方をめぐる覚悟- 水越 伸

Ⅱ 膚をめぐるダイアローグ 石内 都・佐々木幹郎

Ⅲ <幻>の彼方

 重力のような -欲望のアフォーダンス- 佐々木正人

 舞う身体、這う身体 金 満理

 「気持ちのいい身体」の行方 遠藤 徹

 まぶさび系感覚論 篠原 資明

 <顔>、この所有しえないもの 鷲田 清一

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本書は、「重力のような」しか読むところがなくても構わない、という覚悟で購入した。

しかし、「重力のような」を読み終えた時には、すぐに読みたい本が他になかったので、ざっとでも目を通してみる気になった。おかげで、いくつか興味深い論文にお目にかかることができた。

「多重人格のプロクセミックス」は難しい言葉がこれでもかとばかりに並んでいて、簡単には意味が読み取れない。内容は、多重人格(=解離性同一性障害)とはなんぞや、といったことだが、とても重要なことが書いてあるような感じがした。
特に「身体を占有しコントロールできるのは、その都度ひとつの交代人格だけである」という指摘が興味深かった。複数の多彩な人格が現れても、このルールは守られるそうである。「二つ以上の人格が、一つの身体を協調し合ってコントロールすることはまずない」という。

「往還するジェンダーと身体」は、自分の生まれながらの性と自分がそうだと感じる性の不一致という問題を抱えた人たちをめぐる論文である。
「性同一性障害」という概念の普及が、必ずしも好ましいことばかりではなく、そのような悩みを有する人たちを病人として囲い込むという側面があることが述べられている。
言いようによっては、たやすく通俗的な話題に堕してしまいそうな事柄を、きちんと整理して問題点を明確にする文章がたいへん好ましい。

「舞う身体、這う身体」は、演劇に関する論文だが、我々が普通に想像する演劇ではない。
著者は「三歳でポリオに罹患して首から下の筋力が失われた」という方である。著者が主催する「劇団態変」の役者さんは「全員が身体障害者」だという。

「頭の考えた目的や結果に即して滑らかに機能を発揮する健常者の身体に比べて、そこからかけ離れたデタラメに生まれ出る無目的な身体自身の語りを持つ身体障害者の身体は、この驚嘆へいざなう芸術の成立に一歩近いところにあると、私は直感する」

この指摘にはまったく意表を突かれた。心の奥の方で何かが揺さぶられた気がする。

「ダイナミック・タッチ」については、稽古雑感ページの「14.ダイナミック・タッチ」 を参照。

人間の運動の不安定性については、感想文ページの『デクステリティ』を参照。

佐々木正人の他の著作については、感想文ページの『ダーウィン的方法』を参照。

ウイリアム・ギブソン、アフォーダンスについて知識が欲しい方は、佐々木正人による『アフォーダンス―新しい認知の理論』(岩波科学ライブラリー 12)が参考になると思う。 2007.9.23.


補足:
佐々木正人の論文「重力のような」に出てくる「慣性テンソル」については、例えば、ウィキペディア(Wikipedia)の該当ページをご覧ください。

『身体をめぐるレッスン1』夢みる身体

編集委員:
鷲田 清一
荻野 美穂
石川 准
市野川 容孝
出版社:
岩波書店
定 価:
2,700円+税

「幼児は「書く」という行為へと身体各位の運動を動員するために、試行錯誤をくりかえす。身体が「書く」ことに慣れるには当然、時間がかかる。が、指と掌と手首に「書く」という行為の<式>がいったん住みつくと、それはただちに身体のあらゆる部位に変換可能な「一般式」に変わる。 (中略) 幼児は以後、なんの訓練もなしに、手首と肘と肩を使って黒板に大きく字を書くことができるし、机の上に肘で書くこともできるし、砂場に足先で書くこともできるようになる」
(序論「身体という幻」より)


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